松代案内 22 寒松山 大林寺
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寒松山 大林寺(かんしょうざん だいりんじ)
宗派/曹洞宗、本尊/釈迦牟尼如来
天正年間(一五七三~一五九一)、真田昌幸(藩祖信之の父)の夫人寒松院の発願で上田城外房山に建立した大輪寺を、信之の松代移封後、この地に移した。寒松院の墓石と遺骨も移葬した。江戸時代は、朱印領七十石、修行僧七〇~八〇人を抱え、「白水流しの大林寺」と謳われ、米のとぎ汁でセギの水が白くなるほどの隆盛を極めた。明治五年(一八七三)の大火により諸堂宇が焼失し、修行寺も閉鎖された。その後、槍術場の建物を、長国寺と分け、本堂兼庫裡としたが、明治二十四年の大火で再び焼失。現本堂は四十五年建立。本尊釈迦牟尼如来は、左手に蓮の蕾を持つ拈華微笑坐像(ねんげみしょうざぞう)。寒松院の墓のほか、信之・幸村(信繁)の父昌幸、母寒松院、信之、信政などの位牌、藩家老の矢澤、鎌原家、大石蔵之助の姉の嫁ぎ先岩崎家の墓などがある。延命地蔵尊堂に松代七福神巡りの「福禄寿」を安置。