おそれ多いことですが書付をもって心からお願い申し上げます
農業と養蚕・蚕糸業はいうまでもなく、それぞれの家での中心となる仕事でございます。ご開港以来、特に蚕種紙は国益となる産物の第一のものとなりました。
特に上田藩内の蚕種紙は最もすぐれた品と称賛されてきました。毎年それぞれの家で精を出して製造し、横浜へ出荷してきました。
ところがこの夏、西洋で思いがけず戦争(明治3年7月にはじまったプロイセンとフランスの戦い)が勃発し、洋銀為替が予定より延び遅れたことから、売買をおこなう季節が過ぎてしまいました。
このため、蚕種業者は高価な蚕種紙を持ち続けることができず、安値であっても販売したため、蚕種の価格が値くずれをおこし、前代未聞の莫大な損失となりました。すでにお聞き及びのこととは存じますが、言語を絶する状況となっています。
横浜での損失はおよそ200万両にも及ぶといわれています。そのうちの 7、8割は信濃国のものであり、さらにその多くが上田領管内の損失となっております。
私のほうで蚕種製造のための元金を、それぞれの製造者に立て替えておいた代金(横浜の商人と契約を結ぶ前に上田地域の蚕種製造業者へ前貸ししてある)のみでは、塩尻組内はもちろん上田領の他の組々の150人余りが多大な損失をこうむったため、途方に暮れております。
(外国へ蚕種を売り込んでいる横浜の商人は、現在の価格で売買すると)どのようにしても勘定が成り立たないので、ぜひとも取引を延期してほしいと言ってきておりまして、手のうちようがございません。
私もさまざまに尽力してきましたが、いかなる手段もなくなり、困り果てております。
このように困っているところ、藩からは、今年の夏に拝借した上田藩内救済通銭札(上田藩札)の引替期限がきたのできびしく取り替える(引き上げる)、というご通告がありました。
おそれ多いことですが、前に述べさせていただいた通り、かねて前貸ししてあります業者たちからは確かな抵当物件を受け取り、証人も立ててあります。通常の年でしたらこのようなお願いを申し上げることはありませんが、私をはじめとし、大きな損失を受けている事態が眼前にありますので、慈悲の無い返済強要はいたしかねます。この上、有るか無いかはともかく、家や田畑などを質に入れるとしても、今はみなが大変困っておりますので、お金を調達できる人がいるでしょうか。
藩札引替についてきびしくおっしゃられているところ、申し上げにくく、まことに分をかえりみず、たいへん恐縮なことでございますが、広大なご慈悲をお願いいたします。
朝廷へもご報告された、来る明治5年11月中までのお引き替えについては、幾重にもご猶予していただけるようお取り成し下されますようお願い申し上げます。
このたび藩内に勧農社を設立する趣旨が出され、ありがたく存じております。これまでも領民のご救済については、厚いいつくしみが尽くされてきました。
不肖の私が申し上げるのも恐れ入るところではございますが、養父のときから長年にわたり藩のご勝手方御用を勤めてまいりました。私自身も文久元年から志願し、藩の御用を勤めるようになり、非常時の手当として囲い米などをしてまいりました。慶応元年と2年には、あい続く凶作により世間は不穏で容易でない気配となりました。
お上様(上田藩第7代藩主松平忠礼)におかれましても、このような状況を思いわずらわれている折でありますから、(藩札引替の猶予は)領民を救う一助であろうかと存じます。
囲い米として積み立てていた穀物は慶応2年4月から7月にかけて、安値で売り払いました。8月には越後米の融通を申し渡され、慶応3年4月まで尽力してまいりました。ひきつづき明治元年にも、非常時の備えとして私がたくわえておりました籾を上納いたしました。
これらの米俵は、お上様が大変困窮している者を救うために、安い値段で売り払いました。昨明治2年にも囲い米をするようご指示があり、私一人の判断で積み立ててきました。
さらにまた今年の夏には(プロイセンとフランスの戦争勃発の知らせの届く前までに)、仲間の者たちと、横浜で大量の産物を売りさばき、大きな利潤をあげ、囲い米を積み増しました。
これまで、お上様には厚くお世話になっていますので、ひとかどのご補助になればと、及ばずながらそれぞれの者が(囲い米などで)丹誠を尽くしてまいりました。
ご厚意により、上田藩札5万両を拝借するよう言いわたされ、ありがたく分配の世話をしてまいりましたが、はからずも横浜で大損失をし、まことにもって想定外の年柄となってしまいました。かねて志願し勤めさせていただいています藩の御勝手向きの御用が行き届かなかったことを残念に存じます。
なおその上に農業と養蚕・蚕糸業は、二つともやめることのできない仕事でございますので、これからそれぞれ経営に精を出し、この地の純粋な逸品を製造します。商売は上田領内のことですから、恐れ入りますが規則を今よりさらにただしていただき、本邦第一の名誉がますます海外に鳴り響くようしにていただきたく存じます。
このようなことで前件のお願いを申上げました。余すところのない情実と篤いあわれみをくださり、格別のご仁愛で困窮におちっている者たちをお救いくださるならば、ひとえに広大無辺のご慈悲とありがたき幸せに存じます。以上。
明治3年
午11月
塩尻組
諏訪部村
丸山平八郎
民政
御役所