長野郷土史研究会 小林一郎
渡辺敏(はやし)の生涯
『長野史料』とその索引を残したのは、長野県の教育に大きな足跡を残した渡辺敏(1847~1930)です。渡辺は二本松藩士として、現在の福島県二本松市に生まれました。長野県尋常師範学校長を務めた浅岡一(はじめ)は、渡辺の実弟です。
東京師範学校を卒業した渡辺は、明治8年(1875)に大町(大町市)の仁科学校に赴任しました。明治17年(1884)には福島県にもどりましたが、明治19年(1886)に長野尋常小学校長として招かれ、上水内高等小学校長も兼ねました。女子教育にも力を注ぎ、明治29年(1896)には長野町立長野高等女学校(現在の長野西高等学校)を開設して、その校長になりました。大正5年(1916)に退職するまで、21年にわたって長野高等女学校の校長を務めました。その間、特別支援教育、実業教育、女子教育など、幅広い分野で先進的な取り組みをしました。
理科教育
渡辺は、教科の教育ではことに理科に力を注ぎ、自ら実践しました。渡辺罎(わたなべびん)と名付けたフラスコを使い、「一罎百験」と称して様々な理科実験を行いました。屋外など、いつでもどこでも実験を行い、一般の民衆に理科実験を公開したことで知られています。その内容は、明治25年(1892)に『近易物理 一罎百験』として出版されています。また理科教育の資料として、明治30年(1897)には『理科資料』を出版しています。
郷土史料の収集
渡辺は地域の歴史にも深い関心を示し、明治23年(1890)ころから長年にわたり郷土史料の収集を行いました。旧家に眠る貴重な史料を書き写し、最終的に26冊にまとめました。これが『長野史料』です。
渡辺は収集した史料をもとに長野町の歴史をまとめ、明治30年(1897)3月に『郷土史料 長野町小史草稿』を出版しました。この本は長野町の初めての通史でした。長野町はその直後、明治30年4月に市制を施行して長野市になりました。この本は後に改訂されて『長野市小史』になりました。