渡辺の収集した『長野史料』が早速役立ったのは、大正時代の『長野市史』の編纂でした。大正6年(1917)に市制施行20周年を迎えた長野市は、翌年から市史の編纂事業に取り組みました。編纂主任を託されたのは、秋山太郎です。秋山は善光寺大勧進の寺侍の家に生まれ、教育界で活躍してきた人物でした。
『長野市史』は大正14年(1925)に完成し、出版されました。その冒頭には「参考書」が掲げられていますが、「古文書 古記録」としては、まず『長野史料』が挙げられています。それは次のように書かれています。
「渡辺敏氏蒐集長野史材料二十六冊之内
震災記事 七冊 永井幸一著 権堂永井益之助氏蔵
同 一冊 徳武某著 妻科徳武喜久治氏蔵
同 一冊 小林秀之助著 問御所小林幸五郎氏蔵
長野町誌、腰村誌、鶴賀村誌、妻科村誌、茂菅村誌(各村誌は明治八九年より十
二三年頃迄に編纂したるもの)
明和善光寺領人別、天保木綿商取締鑑札に付訴願、嘉永安政木綿商仲間掟、善
光寺古事見聞録、善光寺由来記、文久二年人馬継立之件、栗田家譜、善光寺火
災記、市場衰微歎願訴訟、権堂飯盛女に付約定書、安政年中歩役一件出入、元
禄度市場伺、慶長宿証文、寛保権堂村水茶屋渡世に係る文書、桜屋火事、明治
初年善光寺宿助郷調、御役事日記、城山県社考証」
『長野史料』から26点が使用されていることが分かります。「古文書 古記録」には他に20点と長野市役所文書10点が挙げられているのみですから、『長野市史』を編纂する上で『長野史料』がいかに重要な意味を持っていたかが分かります。