◎小川木山祭を視(み)る

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明治35年(1902)6月3日の事でありました。吾等木曾林学校職員及生徒一同は修学旅行を兼ねて木山祭(注24)を見んと午前5時校庭へ集まつて出発しました。此日に吾等と同行せられたのは職員では林学田校長、手塚教諭、宮田教授、今井校医の4名、生徒は77名で都合81名であつた。それから段々南行して桟(かけはし)にて一寸(ちょっと)休憩して行きましたが、此日は天気もよし又時節もよいのか、人々の拝観するものが引続いて中々道もせまいくらいでありました。8時半頃に漸く上へ着いたが、上では各戸灯籠、国旗を掲げて木山祭に対する祝意を表して居(お)られた。国道
 
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を離れて小川に向いました。此上から小川へ行くには道も細いし、其上木曽川が流れて居(お)りますから誠に之からの道が困難なのである。それに木曽川には橋がないから舟で越さんければならない。渡し場に行つて見れば、舟は小さいに反して山行く人の多いので中々に困雑を極めて居りました。時は丁度8時であつたが、此時までに渡舟した人が既に千有余名とのことであつた。誠に小川の山、古往今来(こおうこんらい:昔から今まで)未曾有(みぞう:今までに一度もなかったこと)の賑いであつた。これを渡つて小川の谷に従つて行くことが12、3町にして伐木事務所へ着き、それから御神木所在地式場迄は6町許(ばか)りであつて、路が急でありますから、道に横木を以て道を作られてあつたので午前9時半式場に着きましたが、10時半頃から式を始められ祭主は伊勢神宮司庁より来りて式を挙行せられた。それに参列した人々は造神宮主事牧野正雄氏、○○造神宮副使白仁武氏、内務省神社局長、其外は御料局官吏で伐木所長以下30名許(ばか)りでありました。拝観人の総計は無慮(むりょ:およそ)3千人と話された。式は12時で終へ此度は伐木することとなった。此木は扁柏(ヒノキ)でありまして樹長20メート余りで、2本共同じ大さで周囲が6尺9寸許り、胸高直径2尺2寸、4間の末口直径1尺7寸許りの木でありました。伐採の方法は地上0.3メートル位の所を三方より穴を穿つて(注25)楔(くさび)を打込みて倒しましたが、茲に於て午后1時頃となつたから帰路に着きましたが、又棧にて一休して帰校せし時は午后の5時頃であつた。