としまひすとりぃ
平成とぴっくす

豊島の平成史を彩る様々な出来事を現場レポート

文化によるまちづくり

文化芸術創造都市への挑戦 ≪その2≫
奇跡の場所《にしすがも創造舎》の12年

東澤 昭

(平成15~18年度 文化デザイン課長 / 平成21~23年度 文化商工部長)
関連キーワード: 文化創造都市
にしすがも創造舎(外観)

平成16(2004)年8月20日、旧朝日中学校(西巣鴨4丁目)の一室で、あるささやかな催しが開かれようとしていました。
元職員室のあった場所をサロンとしたその部屋に集まったのは100人足らずの人だったでしょうか。その中にはすでに顔なじみという人もいれば、その日が初対面という方々も少なからずいたはずですが、みな一様に、ようやくこの日を迎えることが出来たという高揚感と期待に顔をほころばせながら、お互いを見やっては手にした案内状を見返したりしているのでした。
その案内状には、次のような文言が書かれていました。

にしすがも創造舎 (旧朝日中学校) オープニング・パーティーのご案内
Nishi-Sugamo Arts Factory Opening Party
2004年8月20日(金) 17:30 - 21:00

ここはその昔、大都映画撮影所という「創造の場」でした。
そしてついこの間まで学生たちの「学び舎」だった所です。
アートネットワーク・ジャパンと芸術家と子どもたちは
ここを拠点として地域に根ざしたさまざまな活動を計画しています。
はじめます、稽古場。
創ります、人が集まる場所、新しい学びの場。
まずはおひろめ。遊びに来てください。


まさにこの日、統合後の朝日中学校跡施設を活用した文化創造拠点である《にしすがも創造舎》がオープンし、おずおずとその小さな一歩を踏み出したのでした。
この日集まった人々は、学校周辺の地域の皆さんをはじめ、アート関係者やここでの活動を支援してくださる方々、そして施設の運営に携わるNPO法人のスタッフと豊島区の担当者などでした。
《にしすがも創造舎》と名づけたこの場所でこれから始めようとしている活動について簡単に報告するとともに、関係者が顔を合わせ、歓談するのがこのパーティーの目的でしたが、区側の代表としてにこやかにオープニングの祝辞を述べる高野之夫豊島区長の挨拶を聞きながら、裏方としてその場にいた私の胸には実に様々な感慨が胸をよぎっていたのでした。
それは、1年近い準備期間を経てようやくスタート地点に立つことが出来たという安堵感であり、船出を果たしたこの事業がこれからどこに向かうのだろうという漠然とした不安でもありました。
この施設を2つのNPO法人と行政(豊島区)との協働事業という形で運営するという方法は当時として画期的なことでしたが、オープンの日を迎えたその段階でもまだまだ手探りの状態であり、「演劇・ダンスの稽古場、ワークショップ会場、地域の子どもたちに開かれた交流スペースなど、この場所を拠点に、地域に根ざした様々な活動を広げていく」という目標は掲げていたものの、その船が向かう目的地の姿はぼんやりとしか思い描くことが出来ず、確たる海図があるわけではなかったのです。

それからの12年間、平成28(2016)年12月に幕を下ろすまでの間に《にしすがも創造舎》は大きな果実を実らせ、想像も出来なかったような発展を遂げることになります。
当初目標であった稽古場運営や区民参加のワークショップ会場、子どもたちとアートが出会う様々な事業、地域の多世代の人々が気軽に訪れ交流できる場づくりはもとより、劇場機能を兼ね備えたうえで、わが国でも最大規模の国際舞台芸術祭である「フェスティバル/トーキョー」の主会場として、世界の様々な国の最先端の舞台芸術が上演され、日本でもトップレベルの演劇・ダンス等の舞台が繰り広げられるなど、豊島区がめざす文化創造都市づくりを牽引する存在となったのです。
このことは、平成21(2009)年1月に豊島区が文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)を東京都内の都市で初めて受賞した際の授賞理由のトップに《にしすがも創造舎》の活動が挙げられていることからも明らかでした。

その12年間に展開されたプロジェクトを数え上げれば切りがありませんが、それらはみな、この場所をこよなく愛する人々の小さな閃きとアイデアの連鎖によって次々と生み出されたものでした。
そのプロジェクトに関わった人はおそらく数百人に及ぶでしょうし、その人の数だけ《にしすがも創造舎》との思い出があり、ドラマがあるはずです。そうした思いのすべてを汲み取ることは到底出来ないのですが、以下、この文化創造拠点のスタートに立ち会った行政側の一担当者として、その立ち上げから数年間の思い出を振り返ってみたいと思います。

1 手探りでスタートした閉校施設の活用プロジェクト

話は《にしすがも創造舎》オープンの日から一年ほど前に遡ります。
その年、平成15(2003)年は、前稿「文化によるまちづくり~文化芸術創造都市への挑戦~《その1》」でも書かせていただいたように、区では、庁内の組織改編により、企画部(現・政策経営部)や区民部、教育委員会事務局等に分散していた文化施策の担当課を一つにまとめるとともに、商工施策や観光振興施策を担当する部局を設置する組織改正が行われ、これによって「文化デザイン課」が生まれた年でした。
その文化デザイン課が事務局を担うことになったのが、その前年9月に設置された「文化政策懇話会」でした。懇話会では、座長の福原義春氏(資生堂名誉会長、企業メセナ協議会会長 )や専門部会長の後藤和子氏(埼玉大学経済学部助教授:当時)を中心に最終提言の取りまとめに向けて活発な議論が行われているところでした。
折しもその懇話会設置と時を同じくして検討の最終段階にあったのが豊島区の新たな基本構想で、懇話会からは、「新しい豊島区基本構想における文化政策の位置付けについて」という提案が平成14年12月9日付で高野区長宛に提出されていました。
その提案文書では、「文化政策を個別分野の施策として捉えるだけでなく、都市政策あるいは都市デザイン全体に関わる総合的な政策として、基本構想の全体を示す理念の中に位置づけ」るように要望するとともに、具体的な施策を展開する際の拠り所となる以下の基本的な考え方の柱が示されていました。

(1) あらゆる人々にとって魅力ある生活の場を提供する。
(2) 一過性・消費に終わらない質の高い芸術文化創造活動への展開をめざす。
(3) 幅広い分野と連携し区政全般を牽引するような総合性を持たせる。
(4) 豊島区の固有性を生かしたまちづくりを進める。
(5) コンビビアルな(賑わいにあふれた)生活文化の空間を生み出す。

上記の5つの柱は、懇話会の最終提言においても基本的考え方として詳述されることになるのですが、2003年当時、懇話会ではこれらをより具体的なものとして肉づけすべく各委員から多くのアイデアやプランが提出され、専門部会において活発な議論を行うとともに、事務局サイドではその取りまとめに向けた作業を行っていた時期でした。
そうしたなかで、《芸術文化創造環境づくり》が最重要課題の一つとしてクローズアップされることとなりました。提言の中核となる「としま文化特区構想」実現のために、「質の高い芸術文化創造環境の整備」や「文化の担い手、推進者等の人材育成」等が、今後、区が取り組むべき具体的施策の重要項目として位置づけられることになったのです。
こうした提言案の方向づけに私は事務局の一員という立場ながら、我が意を得たりという思いを感じていました。それというのも、もう何年も前から私は、かつて豊島区にあった「池袋モンパルナス」や「トキワ荘」のような、芸術を夢見る人々が集い、互いに刺激し合いながら創造活動を行うための《場》づくりが出来ないものかとあてもないままに考えていたからなのでした。
農作物を作るうえで豊かな土壌づくりや粘り強い研究が必要であるように、ものづくり産業において新製品を生み出すために試行錯誤する場や製品化する工場が必要であるように、新たな文化芸術の創造にもそうした環境や場づくりが必要不可欠なのです。その過程で育てられた人材が次の時代の担い手となる……
そうした理念に疑いはないにしても、問題は、具体的にそうした場をどうやって作るのかということでした。
そのための場所はどこにあるのか、既存の施設で転用可能なものがあるのか、誰が運営するのか、ノウハウはあるのか、経費はどうするのか等々……、考えれば考えるほど課題は山積で壁が高く立ちはだかっていると思えたのですが、しかし、その実現は私たちに課せられた最大の使命なのでした。
と言うのも、文化政策懇話会の設置にあたって座長を福原義春氏にお願いする際、福原氏に対して高野区長が「いただいた提言は決して無駄にはしない」「必ず実現します」と約束し、心を尽くして招請したのは前稿でも書いたとおりですが、提言で示された施策を実現することは私たち事務局にとっての使命だったのです。
事務局内で検討を重ねつつも、解決の見通しもさしたるアイデアもないまま時日を費やしていたある日、当時の上司だった大沼区民部長(故人)から「西巣鴨にある旧朝日中学校の建物が使えるんじゃないか、一度見に行ってはどうか」という助言をもらったのです。

朝日中学校は昭和31(1956)年に大塚中学校の分教場が独立して開校し、45年間にわたって地域の学び舎として親しまれたのでしたが、再び大塚中学校と統合することとなり、新中学校である巣鴨北中学校が大塚中学校の校舎を使用することになったことから、平成13(2001)年3月に閉校となり、学校としての役割を終えていました。
その後、平成13(2001)年5月から平成15(2003)年10月まで近隣の学校法人大乗淑徳学園の建替え用の仮校舎として約2年間貸し出されていたのですが、それが間もなく返還されることになっていたのです。
平成13(2001)年10月に豊島区行財政改革推進本部が作成した「公共施設の再構築・区有財産の活用本部素案」では、旧朝日中学校の活用案として「巣鴨体育館と西巣鴨体育場の機能を併せ持つ総合体育館として整備する」ことが示されていましたが、大沼部長の話では、「総合体育館整備の具体化にはまだまだ時間がかかる見込みで、学校跡施設が返還されたあとの当面の活用方針は決まっていない」とのことでした。
早速、関係部局に状況を問い合わせたところ、大沼部長の言うとおり当面の活用方針は白紙状態であることが確認されました。さらに、学校法人への貸付けは10月末までとなっていましたが、8月中には什器備品類の撤去作業が行われる予定で、それ以降であれば見学も可能であるという情報を得て、区側の窓口である経理課の職員同行のうえ、文化デザイン課の職員と一緒に現地視察に赴いたのは8月も下旬になろうかという頃のことでした。
現地では、中学校の旧校舎だけではまかない切れない多くの生徒を収容するために運動場の敷地いっぱいにプレハブの校舎が建てられていて、その存在感に圧倒されるようでした。
早速、旧校舎の入口にある受付のところで学校法人の担当者と挨拶を交わし、教室をいくつか案内してもらったのでしたが、あらかた撤収作業も終わり、生徒の姿もなくひと気のない教室にいくつかの机や椅子が置かれているだけで、それらもいずれ引き取られ、あとには何も残らないとの話しでした。
ひと月余りののちにはプレハブ校舎も解体撤去され、文字どおり「何もない空間」だけが残された旧校舎と体育館の姿を想像しながら、この場所で自分たちに一体何ができるのだろうと漠然とした不安を感じたものでした。
その後、庁内の関係部局と何度か協議を重ねた結果、学校跡地の本格活用が始まるのは、その時点で、区立巣鴨北中学校の建替えに伴う仮校舎として使用した後になるとされており、それまでには10年以上の期間が見込まれることから、その間の暫定活用という形ではあるが、施設の使用は可能という感触を得たのでした。
そうなると問題は文化政策懇話会で検討されている「質の高い文化芸術創造環境の整備」という事業の内容をより具体的に明確化する必要があるということでした。それとともに事業の実施主体をどうするかということが難問として浮かび上がってきたのです。
区、すなわち行政機関である私たち文化デザイン課が直接運営に携わるということが第一に考えられることでしたが、その場合にはどうしても人員増が不可欠であり、それは事実上不可能なことでした。さらに民間事業者に運営を委託する場合にも、そうしたノウハウを持った事業者がいるのかどうか、さらに必要となる備品類の調達経費や委託費等の予算化が本当に可能なのかどうか等々、考えれば考えるほど目の前にはどうにも乗り越えられない高い壁が立ちはだかっているとしか思えなかったのでした。
そんなある日、自治・協働推進担当課から連絡が入ったのは9月も半ばを過ぎた頃のことでした。あるNPO法人から、閉校施設を活用した文化事業の「協働事業提案」があったので、所管課として協議に応じてほしいというのです。

2 協働事業提案からはじまる

豊島区は、平成15(2003)年3月に制定した「基本構想」に基づき、平成18(2006)年3月に「基本計画」を策定、「参加と協働のまちづくり」を地域経営の基本方針に掲げるなど、「参加・協働」を基本政策のひとつに位置づけています。
これに先立つ個別的な協働推進施策として、平成12(2000)年度の補助金制度改革によって、翌平成13(2001)年度に区民の主体的な活動を支援する公募審査型の「区民活動支援事業補助金」が創設され、さらに平成14(2002)年度には「区民と行政とのパートナーシップ会議」から7つの提言が出され、その一つを実現するものとして平成15(2003)年度にスタートしたのが「協働事業提案制度」だったのです。
区では、この年6月に協働推進委員会設置要綱に基づき協働推進委員会を設置、9月には各課に協働事業推進員を置き、地域活動団体などのNPOと行政がパートナーとしてお互いを認めながら協働で事業を推進する態勢を整えてきたところでした。

この制度により募集する提案事業は、「これまで区(行政)が行ってきた事業で、協働することでより効果的な事業展開が図れると考える事業」や「地域課題を解決するために新たに区と協働できると考える事業」が対象となっていました。
提案のあった事業については、提案者と関係部署の職員(協働事業推進員)、自治・協働推進担当課職員が顔を合わせ、事業内容や趣旨、実施の意義・必要性等について意見交換(マッチング)を行い、その話し合いを踏まえて事業化の可能性等について検討、審査のうえ、可能性があると判断された事業については、引き続き当該の関係部署が所管窓口になり、事業の実施または実施に向けた協議を行っていくという手順でした。

そしてこの時、9月の「広報としま」で行った協働事業の提案募集に対して応募があり、文化デザイン課に提示されたのが2つのNPO法人、すなわちアートネットワーク・ジャパンからの「廃校(または区内遊休施設)を利用した稽古場運営事業」であり、芸術家と子どもたちからの「豊島区こども文化発信事業(こどもアーツセンター事業)」を実施するという協働事業提案だったのです。
両NPO法人は相互に協力関係にあり、これらの協働事業を同じ場所で一体的に実施することを企図しての提案でしたが、その内容を目にした私は直ちにこれが考えあぐねていた旧朝日中学校での「創造環境の整備」に結びつくものであると感じ、思わず興奮したことを覚えています。それと同時に、これまで名前を聞くことはあっても関わりのなかったこのNPO法人と予期せず出会うことができたことに何より胸の躍るような思いを感じたのでした。
それというのも彼らはすでに区の中で知る人ぞ知るという存在で、旧千川小学校における学校開放事業の枠組みのなかではありましたが、特色ある事業を展開していてそれを耳にする機会があったからなのです。

ここで両NPO法人の概要を簡単に紹介しておきますと、NPO法人アートネットワーク・ジャパンは、昭和63(1988)年に「東京国際演劇祭'88池袋」として始動した「東京国際舞台芸術フェスティバル」の実行委員会を母体として、平成12(2000)年3月に東京都から特定非営利活動法人の認証を得、登記後の同年4月に設立された団体であり、広く芸術文化の活性化と振興、次代を担う才能の発掘とともに、国際文化交流の促進を目的とするアートNPO法人です。
「東京国際演劇祭」は当時としてもわが国最大規模の国際的な演劇祭であり、豊島区から実行委員会事務局に職員を派遣するなど、区としても力を入れた事業であり、豊島区史にもその立ち上げから数年間の様子が詳述されるなど、区の歴史にも大きな足跡を残すものでした。
また、NPO法人芸術家と子どもたちは、平成13(2001)年7月に特定非営利活動法人の認証を受けた団体で、アーティストが小学校に出向き、教員と協力しながらワークショップ型授業を実施するという活動=エイジアス(ASIAS;Artist's In A School)を中心に取り組むほか、子どもたちの創造力、表現力、コミュニケーション能力等を培うための芸術のあり方を調査・研究するとともに、シンポジウム、ワークショップ及び地域や企業の文化イベント等の企画制作を手がけるなど、社会的な展開を図っていました。

東京国際芸術祭‘88池袋
東京国際芸術祭‘88池袋

アートネットワーク・ジャパンでは、主催する「東京国際舞台芸術フェスティバル」などを実施するなかで、東京において中堅から若手の劇団やダンスカンパニーが良質な作品を生み出すための稽古場が圧倒的に不足しているという危機感を従前から抱いており、当時各地で課題になっていた廃校の活用ができないかと都内各所の自治体に相談を持ちかけていました。
そうした中、前向きに応じたのが豊島区で、当時の企画課や生涯学習課が受け皿となって、他団体とともに旧千川小学校での試験的な使用に結びついたということです。
私が初めて両NPO法人の存在を知ったのは、平成15(2003)年の4月のはじめだったと記憶していますが、芸術家と子どもたちの企画制作で、地域の子どもたちとパフォーマンス集団「水と油」のメンバーが一緒になって舞台作品を創り、旧千川小学校の体育館で上演されたという記事が豊島新聞に大きく載ったのです。残念ながらその時の舞台は見逃してしまったのですが、翌5月にその作品がアサヒ・アート・フェスティバルの一環として墨田区のアサヒスクエアAというホールで再演されるという話を聞き、それを観に行ったのでした。
さらに8月には、両NPO法人と旧千川小学校利用者協議会共同主催により、「アート夏まつり@旧千川小学校」が開催され、その様子も見ることができました。
いずれも子どもたちや地域の人たちが参加しながら、そこにアーティストが関わることでこれまで見たことがなかったようなクオリティの高い表現やコミュニケーションのあり方を感じることが出来、大いに刺激を受けたのを覚えています。文化政策を所管する新しい組織の一員として、いつかこうした仕事を一緒にしたいと思ったものです。
一方、両NPO法人では学校開放事業の枠組みの中では使えるスペースも期間も限られ、その条件下で活動を継続することの限界も感じていたそうで、ちょうどそのタイミングで豊島区が協働事業提案の公募を始めたということから、新しい事業展開を図るべく応募に至ったということでした。

こうした経緯のもと、協働事業提案を受けて、文化デザイン課と両NPO法人との間で協議を重ね、模索しながら徐々に事業運営の方向性が形づくられていったのです。そのうえで、その年の12月も押し詰まった頃には、旧朝日中学校を活用した文化芸術創造支援事業をNPO法人との協働で実施することについて、区の予算や事業を決定する庁内の会議で区長をはじめ企画、財政等の担当部局に説明を行い、いくつかの課題を残しつつも、翌年度の新規事業として承認を得ることができたのでした。

アート夏まつり@旧千川小学校 子どもとつくる舞台「おもいで」ワークショップ風景
アート夏まつり@旧千川小学校
子どもとつくる舞台「おもいで」ワークショップ風景

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