としまひすとりぃ
平成とぴっくす

豊島の平成史を彩る様々な出来事を現場レポート

文化によるまちづくり

文化芸術創造都市への挑戦 ≪その2≫
奇跡の場所《にしすがも創造舎》の12年

東澤 昭

(平成15~18年度 文化デザイン課長 / 平成21~23年度 文化商工部長)
関連キーワード: 文化創造都市

10 西巣鴨から世界へ ~広がる可能性

こうして体育館の改修工事が始まり、照明・音響等使用時のための電圧増設や身障者トイレの設置、避難通路確保のための出入り口増設、非常放送設備設置のほか、天井への吊り物設備や可動式客席の設置等が着々と進められ、徐々に“劇場”としての機能を備えていったのでした。しかしすべてが順調に進んだわけではありませんでした。
平成18(2006)年5月になって、蜷川幸雄氏演出作品「エレンディラ」公演の中止が発表されたのです。そもそも体育館を劇場に生まれ変わらせるというプロジェクトのきっかけになった話しですから随分と驚きましたが、公表前に製作を行うプロダクションの責任者が高野区長のところにも説明に見え、あくまで制作上の採算性の問題ということで中止のやむなきに至ったのでした。
この知らせはプロジェクトに関わった私たちに大きな落胆をもたらしましたが、アートネットワーク・ジャパンの皆さんにとってはより深刻な打撃だったはずです。公演の中止はそのまま会場使用料収入の損失を意味しますから、その収益源を埋めるための営業努力は大変なものだったに違いありません。
結果として公演の中止は「劇場化」のプロセスにも影響を及ぼすものとなったように思います。

しかし、そうした逆境を乗り越えるように、NPOスタッフの皆さんはこの場所に時間と手間をかけ、少しでも使いやすい“劇場”づくりに心血を注いでいったのでした。
その翌年平成19(2007)年には、それまでも継続してきた《にしすがも創造舎》で創作された作品を上演するプロジェクトの本格的な舞台公演、アートネットワーク・ジャパンと国際交流基金や海外の劇場が共同製作した作品等を上演する東京国際芸術祭の数々の舞台、地域の人々や子どもたちがアートを体感し交流する場づくりを企図した「アート夏まつり」の一環として、子どもたちに馴染みのある児童文学や童話を題材にした「子どもに見せたい舞台シリーズ」などが次々と上演されていきました。
さらに平成21(2009)年には、東京都や豊島区等との連携のもと、それまでアートネットワーク・ジャパンが主催してきた東京国際芸術祭をリニューアルした日本最大規模の国際的な舞台芸術の祭典である「フェスティバル/トーキョー」が始まり、新作や世界初演を含む演劇やダンスを中心とした数々の作品が上演されていきました。
こうして元中学校の体育館だった場所が、わが国でも代表的な舞台芸術の発信の場となり、国際的な芸術祭の主要な舞台へと生まれ変わっていったのです。

さて、平成18(2006)年秋に予定されていた蜷川幸雄氏の舞台は残念ながら中止となってしまいましたが、蜷川氏にとってもいつかこの場所での公演を実現したいとの思いは消えることはなかったように思います。
蜷川氏は文化デザイン課発行の記録誌「にしすがも創造舎2004~2011」の中で、「(にしすがも創造舎の稽古場は)人間の痕跡やにおいが残っていて、手づくりの空間だよね。ピカピカの新しすぎる建物だと、管理されている気がしてしまうけど少し建物にもスキマがあると想像力が羽ばたきやすくなるということがあると思う」「だからこの場所は、一般の劇場より遥かに自由で、新しい演劇を創る可能性がある」と語っていますが、この場所の持つ可能性を誰よりも感じていたのかも知れません。
そうした思いが結実して、その後蜷川氏はさいたまゴールド・シアター「95㎏と97㎏のあいだ」(2009年3月18日~29日)、Bunkamura大規模修繕劇団 旗揚げ公演「血の婚礼」(2011年6月24日~7月30日)、さいたまゴールド・シアター「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」(2014年11月23日~26日)と、3本の演出作品をここ《にしすがも創造舎》の体育館特設劇場で上演することになるのです。

にしすがも創造舎体育館特設劇場
にしすがも創造舎体育館特設劇場
子どもに見せたい舞台vol.4「ピノッキオ」
子どもに見せたい舞台vol.4「ピノッキオ」
(c)IIDA Kenki
「F/T09秋」開催風景
「F/T09秋」開催風景

そのうち「95㎏と97㎏のあいだ」と「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」は「フェスティバル/トーキョー」の一環として上演されたものですが、ともに1970年前後に蜷川氏が演出家として鮮烈なデビューを果たした頃の作品とダイレクトにつながった作品でした。初演当時、時代を過激に反映した若者たちの群像劇だったものを、さいたまゴールド・シアターの平均年齢70歳を超えた俳優たちを中心に作りかえたこの舞台は、40年という時の経過をドキュメントとして描き出した秀逸なもので、上演されるとともに消えるしかない演劇作品における「再演」というもののあり方を提示して実に感銘深いものでした。

また「血の婚礼」は、ガルシア・ロルカの同名戯曲に劇作家の清水邦夫がインスピレーションを得て執筆した作品で、すでにそれまでにも蜷川演出によって再演を重ねていたものですが、この時は東日本大震災発生のわずか3か月後の上演ということもあり、それまでにない緊迫感や現実感が満ち溢れる舞台となっていたのでした。
とりわけ上演中の大半の時間、舞台上に降り続ける激しい雨は津波に呑み込まれた世界を否応なく想起させ、さらに劇の終盤、突然の闇の中、蝋燭の灯りだけで演じられる場面では、一気に雨のやんだあとの静寂の中、囁き声すらがくっきりとした輪郭を持ち、言葉は研ぎ澄まされた力を持って観客の胸を抉るのです。それは、原子力発電所の事故によって電気の途絶した世界をも思わせるのでした。
なお、この舞台では、降り注ぐ土砂降りの雨のために毎回約7トンの水が使われたそうですが、その激烈なシーンを現出させた演出スタッフと劇場技術スタッフの働きには感服と同時に圧倒されるしかありませんでした。

このほか印象深く記憶に残る舞台は数え切れないほどですが、ここでもう一つ紹介しておきたいのが、「フェスティバル/トーキョー09秋」の演目として上演された、日本を代表する演出家の一人、松本雄吉氏(2016年逝去)率いる維新派の公演「ろじ式~とおくから、呼び声が、きこえる~」(2009年10月23日~11月3日)です。
維新派は1970年に結成された大阪を拠点とする劇団で、野外に自分たちで建てる劇場、極めてリアルなものから抽象的な空間までとことん造り込む舞台美術、ヂャンヂャン☆オペラと名づけた大阪弁のイントネーションを生かした独特のリズムを持った台詞、音楽などを特長とし、海外のフェスティバルにも多数参加して高い評価を受けていました。
この時、維新派の東京公演は6年ぶりとのことで、期待値の高さから多くの観客を呼び、開演前には当日券を求める行列ができていましたが、どうしても入場できず涙を呑んだ人も多かったと聞きました。
校庭には維新派名物の屋台村が出現、さまざまな料理とともに開演前には音楽ライブが繰り広げられ、観客は屋台村の「路地」を通って劇場へと誘われるのです。
舞台上には劇団員手作りの木枠で縁取られた立方体の標本箱が数百個も並び観客を圧倒します。それを出演者たちが自在に移動させ、並べ替えながら様々な情景を創り出していくのです。
立方体のなかに浮かぶ標本は古代魚や鳥類、さらには原人と思われる骨の化石です。(そのほとんどが劇団員の手作りだと聞きました)
冒頭、深海のイメージの中からアメーバ状の生命の始原の姿が浮かび上がり、二足歩行をはじめた猿人類の誕生を経て、人類の歴史をたどりながら戦後の焼け跡の「路地」、作者の松本雄吉氏自身の少年の夢の時間へとつながっていきます。そのことはぼんやりとではあるけれど、いつの間にか標本箱の中身が入れ替わり、焼け跡で見つかったような不発弾であったり、兵士のヘルメットであったり焼け落ちた家の水道管であったりすることで示されるのです。
劇全体は、内橋和久氏の音楽にのせて俳優たちの発する言葉=大阪弁特有のイントネーションやリズム、語尾の面白さを活用した「遊び」によって綴られる「詩」の世界であり、その豊かなリズムに身を浸しながら観客もまた夢を見るのです。
そして、舞台上に現出したその旅はやがて、やはり海を媒介としながらアジアへと向かっていくようなのでした。

さいたまゴールド・シアター『95kgと97kgのあいだ』
さいたまゴールド・シアター『95kgと97kgのあいだ』
(c)Jun ishikawa
維新派公演「ろじ式」 
維新派公演「ろじ式」(c)Jun ishikawa
「ろじ式」のろじ(屋台村風景)
「ろじ式」のろじ(屋台村風景)

このほか、「フェスティバル/トーキョー」における海外からの舞台作品では、ドイツのアートプロジェクト・ユニットであるリミニ・プロトコルの舞台「カール・マルクス:資本論、第一巻」(2009年2月26日~3月1日)と、さらにもう一つ、フランスの鬼才ジャン=ミシェル・ブリュイエール率いるLFKsによる展示形式の演劇作品「たった一人の中庭」(2012年10月27日~11月4日)が強く印象に残っています。
前者の「カール・マルクス:資本論、第一巻」は、NHKのEテレで全編が放映されましたが、上演の前年に起こったリーマン・ショックに端を発した世界的な金融危機や、国内のいわゆる派遣切りによる非正規労働者の失業問題などを背景に、グローバル経済をラジカルに批評しつつも、不思議なユーモアに満ちた豊かな演劇的空間を創り上げていました。
また、「たった一人の中庭」は、不法滞在者やロマ族が暮らす移民キャンプの実態をアーティスティックな視点で現出させ、再構成した展覧会形式の演劇作品です。
本作は、校舎内の3階から地階までの教室と体育館、校庭に至るまで《にしすがも創造舎》全体を使った作品で、観客はそれらを順繰りに経巡りながらパフォーマンスを見聞きし、体感する中で、移民問題をめぐる複雑な現実や諸問題を直接突きつけられるような刺激的な体験をすることになるのです。何よりも、「何もない空間」だったはずのこの場所が、現代美術のような巨大なインスタレーションそのものと化す変容ぶりには圧倒されるばかりなのでした。

この体育館の劇場で平成17(2005)年から平成28(2016)年までの間に上演された作品の公演回数は73、上演回数は451回に及びます。それらは区民主体のリーディング・フェスティバルや子どもたちとアーティストが一緒になって創った舞台、子どもに見せたい舞台シリーズなど、多くの区民がアートに親しみ、交流を促進するようなものから、現代演劇やダンス表現の最先端を切り開くような国内外の優れた舞台芸術に至るまで、実に幅広いものでした。
それらは豊島区の中でも周縁部に位置する西巣鴨という場所で生まれながら、紛れもなく世界とつながるものだったのです。この創造拠点で育まれ羽ばたいた創造力の翼は、この場所が閉じられた今となっても力強く飛翔し続けているに違いありません。

※この章での舞台作品に関する説明はあくまで筆者の個人的な感想によるものです。

11 NPOとの協働事業をとおして学んだこと

《にしすがも創造舎》のことを私は躊躇なく“奇跡の場所”と呼ぶようにしていますが、それはここがかつて大都映画撮影所だったという土地の記憶や立地条件をバックボーンとして、ここで出会った数多くの人々が“協働”で紡ぎ出した夢の結晶だからこそなのです。ここでなければ生まれなかったアイデアや発想の連鎖があり、それを次から次へと人がつないでいったからこそ、ここは他のどこにもない奇跡の場所となったのです。それは決して偶然などではなく、《にしすがも創造舎》に関わった多くの人々、地域の皆さん、子どもたち、アーティスト、金融関係者、NPOスタッフ、区職員等々、とてもここでは紹介しきれないほどの多くの皆さん一人ひとりが自分たちの場所を慈しむように日々考え、努力を積み上げたその結果として生み出されたものなのです。
この場所で生まれた奇跡は、街のなかに広がり、豊島区全域はおろか世界にもウィングを広げて、豊島区が文化のまちづくりで魅力を発信するきっかけの一つになったように思います。

NPOの皆さんとの協働事業をとおして学んだことはたくさんあるのですが、行政だけでは実現できないことがあり、NPOだけでは達成できそうもない目標があったとしても、両者が力を合わせ、さらに多くの人の力が集まり結びつくことでそれが可能になる、そんなことを私たちは身をもって学んだように思います。

これは他稿にも書いたことですが、両NPOがコーディネートして実施する様々なワークショップの様子を見ながら強く印象に残ったことがありました。
それはワークショップに参加する子どもたちや区民の皆さんとアーティストの関係でした。教師と教え子のように教え・教わるというタテの関係ではなく、お互いが表現者として対等の立場で刺激し合いながら、ひとつのものを一緒になって創り上げていくという姿勢が鮮明だったのです。その成果としての「リーディング・フェスティバル」や「子どもとつくる舞台」などの舞台発表はいずれも素晴らしいものでした。
そしてワークショップ終了後には、毎回その日にアーティストとNPOや区の担当者が一緒になって入念な振り返りを行い、参加者一人ひとりの課題や運営方法の問題点とその対応方法などを話し合うのですが、そうしたプロセスを通して私たち職員も協働事業のあり方を学んでいったのでした。

また、事業を継続し、拡充するための資金をどうやって調達するかについてもNPOの皆さんがいかに真剣で切実な思いを持って取り組んでいるか、私自身、その姿に学ぶことは多かったのです。
《にしすがも創造舎》での協働事業については、平成17(2005)年に行った地域再生計画の追加申請が認められ、文化庁や内閣府からの助成金を得たことは既に述べましたが、恥ずかしいことに豊島区が文化事業に関してこうした外部資金の調達に取り組んだことはそれまであまり経験がなかったのです。それは区の外郭団体である「としま未来文化財団」においても同様でした。
今では当たり前になっている文化庁や各種民間ファンドへの助成金申請のノウハウを一から教えてもらったのも両NPOとの協働事業を通じてだったのです。助成金の中には、自治体からでなければ申請できないものもあり、逆にNPOのような民間団体しか申請できないものもあるのですが、その一方、両者が手を携えて事業計画を作り申請することでより大きな資金を獲得できる可能性があることも同時に学んでいきました。
平成24(2012)年には、「フェスティバル/トーキョー」をメイン事業としながら、あうるすぽっと、東京芸術劇場、アートネットワーク・ジャパン、豊島区が連携して「池袋/としま/東京アーツプロジェクト事業」を立ち上げ、豊島区からの申請によって文化庁の助成(平成24年度地域発・文化芸術創造発信イニシアチブ事業)を獲得することができたのでした。
その計画づくりのためにそれぞれの関係者が一部屋に集まり、時間をかけてアイデアを出し合ったことが今でも昨日のことのように思い出されます。助成金が得られなければ事業そのものが成り立たないという切羽詰まったなかではありながら、それは本当に楽しい有意義な時間でした。
これなども個々の団体や組織だけでは為し得なかったことが、手を携えることでより大きなものを実現できるということの何よりの証なのだろうと思います。
私もその事業計画の基本部分の草稿づくりに携わりましたが、地域再生計画の申請に関わった経験が大いに寄与したことは言うまでもありません。これもまた協働事業をとおして学んだことの一つなのです。

子どものいるまちかどシリーズvol.4巨大紙相撲「にしすがも場所」
子どものいるまちかどシリーズvol.4
巨大紙相撲「にしすがも場所」
夜空の校庭上映会
夜空の校庭上映会
リーディング講座「心に響くドラマリーディング」
リーディング講座「心に響くドラマリーディング」

また、《にしすがも創造舎》では、文化ボランティア育成事業として、学校や児童施設、高齢者施設、福祉施設などでの本の読み聞かせボランティア活動に活かせる講座・ワークショップを実施したのですが、これはその後も様々に発展する広がりと可能性を持ったものでした。
のちに「あうるすぽっと」が取り組んだ視覚・聴覚障害者等の観劇サポート事業や当事者の意見を聞きながら実践する活動などもその発展形であり、今後もさらに必要とされる取り組みであるに違いありません。

2016年(平成28年)12月、《にしすがも創造舎》はそれまで12年間の活動に終止符を打つこととなりました。それが残念ではないと言えば嘘になりますが、しかしそれもまた時代の流れということなのかも知れません。ただ、それがこの場所の「役割が終わった」ことを意味しないことは確かだろうと思います。創造環境をつくることの意義は決して失われることなく、これからも文化芸術を愛し、関わる人々の胸にさらなる可能性の広がりを持って生き続けるに違いないからです。

にしすがも創造舎のフィナーレ

追記

本稿の最後の章を書いているちょうどその時に、高野之夫豊島区長の訃報を耳にすることになってしまいました。突然のことに言葉もありません。
高野区長は、豊島区が財政難に苦しむなか、無謀とも思える私たちのチャレンジを温かく後押ししてくださいました。
《にしすがも創造舎》には機会あるごとに足を運ばれていましたが、とりわけ「アート夏まつり」の開催期間中、その頃まだご存命だった奥様と連れだっておいでになり、展示してある子どもたちの作品や舞台発表を慈しむようにご覧になっていた姿が忘れられません。
《にしすがも創造舎》のオープンは高野区長が就任されて6年目のことでした。その12年の歴史は、高野区長の任期24年間のちょうど半分にあたります。ここでの活動の数々が、区長の標榜する文化のまちづくりに少しでも貢献することができたとすれば、これに勝る喜びはありません。
心よりご冥福をお祈りいたします。

関連年表

平成15年9月協働事業提案募集、NPO法人アートネットワーク・ジャパンによる「廃校(または区内遊休施設)を利用した稽古場運営事業」及びNPO法人芸術家と子どもたちによる「豊島区子ども文化事業(子どもアーツセンター事業)」提案採択
平成16年2月 旧朝日中学校校舎を活用した「文化芸術創造支援事業」が平成16年度重点事業に位置づけられる
8月 区とNPO間で文化芸術創造支援事業の実施に係る協定及び旧朝日中学校校舎を無償貸与する使用貸借契約締結
8月20日にしすがも創造舎オープン
9月「検証すがも愛~ハヤフサ・ヒデトを探して」プロジェクトスタート
10月蜷川幸雄演出『ロミオとジュリエット』の稽古場として体育館使用、公開稽古実施
12月8日地域再生計画「文化芸術創造都市の形成」認定(支援措置:「補助金で整備された公立学校の廃校校舎等の転用の弾力化」「映画ロケ、イベント等及びカーレースに伴う道路使用許可の円滑化」)
平成17年2月5日ハヤフサプロジェクトの成果発表、「にしすがも活動写真館」開催
2月24日演劇上演プロジェクト vol.0『昏睡』上演
3月30日子どもとつくる舞台「踊る!すがも地蔵通り!!」開催
6月11日文化芸術による創造のまちづくり「心に響くドラマリーディング」講座開講
7月19日地域再生計画「文化芸術創造都市の形成『としまアートキャンバス』計画」認定(追加支援措置:「文化芸術による創造のまち支援事業の活用」、「地域再生に資する NPO 等の活動支援」)
平成18年3月31日地域再生計画支援措置「日本政策投資銀行の低利融資等」追加認定
5月体育館改修工事、6月竣工(体育館劇場化プロジェクト)
平成19年2月体育館劇場をメイン会場に「東京国際芸術祭2007」開催(0201-0330)
7月子どものための文化体験プログラム「にしすがもアート夏まつり」初開催、子どもに見せたい舞台『オズの魔法使い』上演
平成21年1月文化庁長官表彰【文化芸術創造都市部門】受賞
2月「フェスティバル/トーキョー」初開催(0226-0329)。にしすがも創造舎で4公演、蜷川幸雄演出・さいたまゴールド・シアター『95㎏と97㎏のあいだ』上演(0319-0329)
10月「フェスティバル/トーキョー09秋」開催(1023-1221)、松本雄吉主宰・維新派『ろじ式~とおくから、呼び声がきこえる~』上演(1023-1103)
平成23年6月蜷川幸雄演出・Bunkamura 大規模修繕劇団 旗揚げ公演『血の婚礼』上演(0624-0730)
平成24年「池袋/としま/東京アーツプロジェクト事業」開始(文化庁助成:平成24年度地域発・文化芸術創造発信イニシアチブ事業)
平成28年12月にしすがも創造舎、全事業終了
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