明治以後の気象災害

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 当地方の気象災害の記録は明治以前より各文献に見られ、『北海道の気候』(1964年版)にその要約が載せられている。
 これによると函館における明治以前の記録は見られず、そのほとんどが松前に限られ、函館の記録は明治に入ってからのものが多い。
 
 函館についての主な記録
1868(明治元年8月15日)津波 旧暦6月26日津波が来襲した。10時30分にはじまり15時まで続く。10分間の水位差3メートル、震源地南アメリカのチリ。
1877(明治10年5月11日)津波 10時30分ころからはじまり、14時30分には平日より2メートル前後高水位となる。震源地南アメリカ。
1879(明治12年8月9日)大雨、山背泊町山くずれ、圧死3。鶴岡町水あふれ、洪水。
1883(明治16年10月3日)暴風、港内停船舶および市中の被害多し。
1884(明治17年)凶冷、米作に被害大。
1885(明治18年5月4日)暴風雨、耕地崩壊、民家15戸、非住家1棟流失、作物被害。
1893(明治26年9月11日)大雨、道路堤防決壊、民家、農作物被害甚大、雨量104ミリ。
1900(明治33年8月29日)地震、詳細不明。
1912(大正元年9月22日)台風 津軽海峡出漁中の漁船多数遭難、行方不明92。
1916(大正5年12月28日)暴風雨、汽船遭難10余隻、はしけ沈没3、積荷3500流出。西北西24.0メートル。
1920(大正9年1月14日)暴風 海岸低地家屋浸水200、流水2、破損22戸。西南西26.4メートル。
1921(大正10年4月4日)暴風 発達した低気圧が津軽海峡を通過。家屋全壊117戸。漁船被害4隻。南西25.4メートル。
1922(大正11年8月15日)大雨、市中一面洪水。谷地頭町は小舟で通行。
1924(大正13年11月22日)暴風雨、家屋全壊50戸、床上浸水32戸、汽船座礁1。西南西34.4メートル。
1925(大正14年2月20日)暴風雪 発動機船沈没1、行方不明11。東南東14.9メートル。
1925(大正14年8月31日)大雨 堤防決壊、道路、田畑被害多し。雨量95ミリ。
1926(大正15年8月26日)暴風雨 床上浸水155戸、床下浸水2,216戸、倒壊6戸、がけ崩れ30。東16.3メートル。雨量145ミリ。
1926(大正15年9月12日)床上浸水273戸、床下浸水2,232戸、全壊1戸、半壊13戸。激甚地、谷地頭、新川、千代ケ岱町方面。雨量106ミリ。
1927(昭和2年4月21日)暴風雨 浸水家屋200戸、流失家屋50戸、南17.8メートル。
1927(昭和2年12月28日)暴風雨 汽船2隻座礁、溺死2、行方不明2、西23.8メートル。
1928(昭和3年2月8日)暴風雪 汽船(5,817トン)座礁、発動機船遭難2隻、水死5。行方不明8。西北西27.9メートル。
1929(昭和4年3月13日)暴風雨 汽船3隻。運送船7隻。その他13隻沈没、破損7。北々西23.9メートル。
1929(昭和4年8月17日)台風 浸水23戸、流失破壊5戸、道路決壊24、畑浸水流失208ヘクタール。北西17.5メートル。雨量23ミリ。
1930(昭和5年11月12日)暴風雪 浚渫(しゅんせつ)船1隻沈没、汽船4隻接触。西22.0メートル。
1931(昭和6年3月9日)地震 震度4、発震時12時49分。壁はく落、煉瓦(れんが)煙突、塀(へい)倒壊、亀裂。
1933(昭和8年7月25日)台風 倒壊家屋7戸、屋根破損20戸、南西21.4メートル。
1933(昭和8年10月20日)台風 家屋浸水79戸、半壊6戸、船舶沈没1隻、破損6隻、その他。北々西10.9メートル。
1934(昭和9年3月21日)暴風 強風のため屋根吹飛び大火災となる。全焼22町、半焼18町、22,667世帯。罹災人口102,002人。南々西24.2メートル。


昭和9年大火 東雲町より松風町、大森町方面を望む

1937(昭和12年7月16日)大雨 前線活動による大雨。床下浸水274戸、土砂崩壊2。雨量60ミリ。
1938(昭和13年6月13日)暴風 倒壊3、立看板、樹木の折損171、南西13.2メートル。
1939(昭和14年8月25日)大雨 雷を伴う。住家床上浸水1,022戸、床下6,880戸、がけ崩れ、雨量176ミリ、1時間雨量63ミリ。
1942(昭和17年8月16日)大雨 住家半壊194戸、流失4戸、床上浸水446戸、床下浸水2,473戸、堤防決壊272、破損122、道路埋没2、橋流失、破損76。雨量135ミリ。
1948(昭和23年1月6日)暴風雪 死者16、負傷者4、家屋全壊3戸、半壊2戸、小舟流失、沈没15隻。南々西23.8メートル。
1948(昭和23年9月13日)暴風雨 負傷者75、家屋流失5戸、床上浸水236戸、床下浸水843戸。雨量111ミリ。
1949(昭和24年10月11日)大雨 床上浸水15戸、床下浸水多数。雨量96ミリ。
1952(昭和27年8月19日)台風 大雨で家屋倒壊12戸、橋流失3、船舶流失、沈没17隻。南々西15.5メートル、雨量43ミリ。
1954(昭和29年5月9日)暴風雨 昭和9年3月21日とともに記録的な強度の低気圧で被害は全道に及んだ。西北西24.1メートル。
1954(昭和29年9月26日)台風 青函連絡船洞爺丸ほか4隻沈没。南25.8メートル。


船底をみせる洞爺丸

1955(昭和30年3月18日)暴風雨 死者2 家屋倒壊20戸 浸水211戸。南々西22.2メートル。
1957(昭和32年3月5日)大雪 新積雪40センチメートル、最深積雪82センチメートルとなり、市内の交通完全に麻痺(まひ)。下海岸の吹溜り箇所は220センチメートルにもなる。
1958(昭和33年8月19日)大雨 市内の床上浸水家屋2戸、床下浸水264戸。道南一帯被害大。雨量219ミリ。
1960(昭和35年5月24日)津波 チリ地震津波。最高水位7時0分、平均潮位上213センチチメートル。床上浸水1,145戸。
1961(昭和36年4月4日)融雪洪水 北部を通過した低気圧による異常高温と集中降雨によって道南一帯被害多し。
1963(昭和38年7月24日)大雨 梅雨末期の大雨、函館近郊の家屋全壊2戸、半壊4戸、床上浸水68戸、床下浸水432戸。雨量112ミリ。
1964(昭和39年3月31日)暴風雨 家屋全壊2戸、半壊1戸、床上浸水16戸、床下浸水50戸。
1965(昭和40年9月3日)大雨 気層の不安定による局地豪雨。短時間降水のため増水はげしく、床上浸水1,416戸、床下浸水2,141戸、死者1、負傷8。総雨量147ミリ。
1965(昭和40年9月10日)暴風雨 台風23号による。最大瞬間風速29メートル。雨量76ミリ。家屋の半壊、流失、一部破損など22。床上浸水152、床下浸水753戸。
1966(昭和41年8月16日)大雨 前線活動による大雨。市内の床上浸水15戸、床下浸水128戸、河川決壊4。雨量163ミリ。
1967(昭和42年4月4日)暴風雨 青函連絡船欠航32本。市内の破損家屋51戸。西13.7メートル。総雨量39ミリ。
1967(昭和42年8月10日)大雨 前線活動による大雨。市内の床上浸水48戸、床下浸水301戸。雨量123ミリ。
1968(昭和43年5月16日)地震 十勝沖地震。発震9時49分、震度5(強震)。全壊家産3戸、半壊家屋は函館大学も含めて49戸。
1968(昭和43年8月21日)大雨 東北地方北部を横断した低気圧による。床上浸水27戸、床下浸水279戸、道路決壊4。雨量138ミリ。
1969(昭和44年8月23日)台風 台風9号による大雨被害。床上浸水19戸、床下浸水214戸、田畑浸水66ヘクタール。雨量81ミリ。
1970(昭和45年1月30日)大雨 台湾坊主による大雨。冬の雨としては明治24年1月14日の88.6ミリを更新し、90.0ミリを記録した。市内の床上浸水250戸、床下浸水66戸、罹災者800人。
1970(昭和45年8月16日)暴風 台風9号による風被害。最大瞬間風速南々西37.2メートル。全壊家屋1戸、半壊家屋36戸。破損家屋266戸、床下浸水28戸。

 
 以上は昭和45年までの比較的に大きな気象災害について列記したものである。これによって気が付くことは、明治、大正を通じての60年間は4年に1回、昭和に入ってからの45年間はほぼ年に1回の災害が記録されていて、昔と今では格段の差があることになるが、実際には災害をもたらすような異常な気象の発生が、昔も今もあまり変わりあるはずがないと思われるので、これは、おそらく災害の記録の散逸や調査の不充分などによるものであろう。
 ただ、昔に比べて現在は人口が増え、都市化が進み、近代化する反面、防災体制がこれに伴わず、異常気象に対するもろさが多くみられるようになり、また、人災とも思えるものまで加わっている傾向にあることは事実である。