貝殻文のない尖底土器

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椴法華村出土の尖底土器(市立函館博物館蔵)

 縄文早期の後半になると貝殻文でない尖底土器が現われる。中でも原始美術の代表的な土器として美術関係などの出版物に紹介されている土器が市立函館博物館にある。出土地は亀田郡椴法華村で、能登川隆コレクションの一つである。大きさは高さ18センチメートル、口径16センチメートルで砲弾形をしており、口縁部にわずかな山形の隆形を相対して4つ付け、竹管工具で全面を飾り付けている完形品である。文様は線状に描いたように見えるが押引き文である。これと同じ形式の土器が千代台町の陸上競技場建設工事中に発見された。市立中央中学校の隣接地で、破片と石器片しか出土しなかったが、この土器の底部も尖底で砲弾形をしている。文様の付け方は竹管工具の押引き文であるがやや粗い施文である。この種の土器は後に詳述する春日町遺跡からも出土しているので、貝殻文尖底土器の時代が続き、そのあとに竹管の押引文尖底土器が、函館山の麓や対岸の千代台町などで造られるようになった。千代ヶ岱(千代台)町遺跡では、発見当時かなり工事が進行して丘陵が削り取られていたことと、発掘調査の空地が無かったので、遺物包含層や生活面の調査ができなかった。住居跡などもかなりあったのでないかと思われる。春日町遺跡の土器は、椴法華村や千代ヶ岱町遺跡の土器と施文が似ているが、底部が小さな平底で、胎土に植物織維の混入が見られる。東日本、殊に東北地方の縄文土器で、植物織維を混入する傾向は、縄文時代前期になってからの一般的傾向でもある。
 縄文尖底土器は胆振、日高などでも出土例があるが、北海道特有なものに静内中野式尖底土器と綱文土器がある。静内のものは、胎土に縄紐を何本も巻き上げのように入れて造った厚手の大形土器である。綱文土器は胎土に繊維を含まないことがある。この土器は網のように太い縄を器面に巻き付けたような文様の土器で、底が尖っている。網走など道東北地方に多いが、道南の日本海沿岸にも出土例がある。

縄文早期遺跡分布図