箱館港

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箱館市中図 「蝦夷島奇観」より

 由来、箱館は津軽海峡の中央に位し、箱館山が海中に突出して、常に海水がこれを巡って深く湾入し、あたかも巴のような形をしているところから、後世これを巴港と称するようになった。しかも四時波が穏やかで船を繋(つな)ぐ必要もないため、「綱知らずの港」とさえいわれ、古くから船着場となっていたが、前述のごとく長禄・永正のアイヌ蜂起によって攻め落され、一時全く廃墟と化していた。それが再び脚光を浴びて登場し、寛保元(1741)年には名称は変わらないが、亀田番所箱館に移されている。この番所が新築されたのは『逢坂氏日記』によれば、寛延4(1751)年で、当時、奉行は酒井伊左衛門であり、亀田郷の名主逢坂七兵衛であった。