銅代物替

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 当時、長崎を通じて行われたわが国の、清(しん)国やオランダとの貿易は、生糸の輸入が主で常に輸入超過となり、そのため、多額の金銀が国外に流出するという状況にあった。そこでわが国は金銀の流出をおさえるため、貞享元(1684)年貿易額を制限し、その一部を銅代呂物替(どうしろものがえ、銅代物替)と称して、銅によって貿易決済をすることにしたが、この銅も払底し、元禄11(1698)年その代物替品として採択したのが、この長崎俵物で、すなわち、俵物とは煎海鼠(いりこ)・干鮑鱶鰭(ふかひれ)の3品と昆布・鯣(するめ)・鶏冠草(ふのり)・所天草(ところてんぐさ)(心太草、てんぐさ)・鰹節・干魚・寒天・干蝦・干貝の諸色海産物である。