官船建造と定雇船頭となる

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 幕府は蝦夷地経営のため多くの船を要した。箱館に帰った嘉兵衛は急に江戸に呼ばれて、官船5艘の建造を命じられた。彼はただちに大坂に下ってこれを造り、翌享和元(1801)年4月箱館に回漕し、主として千島方面の運航に当たったが、この年嘉兵衛は蝦夷地定雇船頭を命じられ、3人扶持を給せられるに至り、2年には手船3艘が択捉定雇船となった。以来嘉兵衛は官船ならびに官雇船まで一手に管理差配し、箱館兵庫に根拠地を持ち、蝦夷地および本州各港に縦横に活躍した。