リコルド上陸の図 「北夷談」(北海道蔵)
私は一人の下士官に白旗を持って上陸せよと命じ、次いで儀仗隊と、軍旗を持った下士を上陸させ、そのあとから私自ら上陸し、続いて二人の士官を上陸させた。二本の旗を掲げて、家の入口の前に一列横隊を作った儀仗隊は、その前を私が通る時、一斉に敬礼した。私は雑役に連れて来た日本の水夫に命じて、靴をはき替えるため安楽椅子を控室に運ばせた。 |
短靴をはくと、私は二人の士官を伴って接見の間に入った。その間には、上下いろいろな官吏たちが、両刀を帯して、軍装して一杯坐っていたが、部屋の中は驚くほど静粛であった。私は並んで坐っている二人の長官(高橋三平・柑本兵五郎)に気づいたので、三歩ほど近づいて敬礼した。二人も頭を下げて、答礼した。左右の高官に一つづつ頭を下げると、私は指定の自席に帰ったが、そこにはちゃんと私の臂掛椅子が置いてあった。深い沈黙はまだしばらく続いた。そこで私は沈黙を破って、キセリョーフ通訳を通じて、親しく御面会できてと初対面の挨拶をした。二人の長官は返事の代りに微笑を浮べ、そのうちの国後島へ出張した上席の方が、低頭して左手からにじり寄った一人の役人に向って話し出した。しかしそれは余りに低声で、キセリョーフにも何一つはっきりと聞き取れないほどであった。それから役人は自席に帰り、大いに驚いたことには、私に向って丁寧にお辞儀して、かなり明瞭なロシア語で話し始めた。 |
彼は長官の挨拶を通訳したが、その趣旨は、ロシヤ人は久しいこと日本沿岸において大いに乱暴を働いたが、今や万事目出たく落着することと相成った、といふのであった。なお両長官におかれては、オホーツク港長官の釈明は甚だ甚だ立派と認められた旨をも、私に通じた。 |
私はこの挨拶に対し、こんどはもう日本側の村上貞助通訳を介してかう答えた。「その間もなく目出度く落着と云はれる意味はゴロヴニン艦長以下のロシヤ人捕虜の釈放と解すべきものでありますが、さうだとすれば日本沿岸でわれわれの払った苦労は、ディアナ号の全士卒にとってこの上もなく愉快な職務上の努力と変はるのであります」 |
それから暫くは単なるお世辞の挨拶を交換した上で、私はイルクーツク民政長官の書翰を持参したと云った。同行のサヴェリエフ君が、緋羅紗で包んだ函のままその手紙を私に渡した。私はその手紙を取出し、宛名を読み上げて、サヴェリエフ君に渡した。サヴェリエフ君はそれを函のまま日本の通詞に手渡し、通詞はこれを頭上に捧げて、位の低い方の長官(柑本兵五郎)に渡し、後任の長官はこれを目八分に持って上席の長官に渡した。上席の長官(高橋三平)は、「早速参って、この書翰をお奉行様にお上げしますが、問題の重要性から見て、これを検討して回答を作成するには、二日ほどかかりませう」と云った。 |
サヴェリエフ君から通詞に渡した贈物は、あっさりと上席長官の眼の前に並べられた。両長官は、この家で粗餐を召上って下さいと云って、立ち上り、私にお辞儀をして退出した。贈物はその後から運んで行った。 |
すると通詞の村上貞介がいかにも嬉しそうな顔付で、親しげに挨拶してロシヤ語でかう云った。 |
「もう間もなく目出度き落着で、お目出たう存じます。ゴロウニン艦長以下もう直ぐに帰艦されるのです。ただわが国には喧しい法律があって、皆さんは今すぐあの方たちと面会できないのですが、みんな元気でおられます」 |
そこで学者たちも近寄って来て、祝辞を述べてくれた。この接見式の間、部屋の隅に立っていた高田屋嘉兵衛も近づいて来た。(以下略)(『日本幽囚記』井上満訳) |