勘解由の米艦訪問

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 松前勘解由遠藤又左衛門石塚官蔵関央蛯子次郎、金田善右衛門の幕僚を従えて、アメリカ艦隊を訪問したのは同日正午過ぎであった。旗艦旗が一時ミシシッピー号に移されたので、同艦に漕ぎ寄せると、べンテウイリアムズの案内で一同乗込み、船室に至るとペリー提督自ら入口まで出迎えた。通弁をもって一応の挨拶を交わした後着座したが、提督をはじめベンテペリー(息子で提督秘書官)、ウイリアムズが列席して菓子、酒肴等の饗応があり、その饗応中提督は、すでに和親条約が締結されたのであるから、藩公自らこの地に出張して然るべきなのに、それがなければ提督は松前表に赴かなければならないと不満の意を表した。これに対し、勘解由は、藩公自身松前を離れることが不可能なので、自分が代理人として全権をもって臨んでいると答えると共に、条約によれば明年でなければ効力を発生しないのに、アメリカ側は条約にない条項を要求していると抗議した。すると提督は、条約締結後高官らと取決めたものであるから、もし勘解由に全権があるなら、今回の来訪に際してこれを締結したい希望であると説明した。しかし勘解由は、自分はこの地方の全権は委(ゆだ)ねられているが、自分も藩公も共に宮廷の指令なくして、アメリカ側との交渉の範囲を決定しかねる旨を答えて会談は終った。
 折柄、風は非常に強く吹きはじめ、湾内は大時化となったので、日本人一行は、提督がポーハタン号へ退去した後も居残り、機関、大砲、錨鎖、船室等の装備などを参観して午後4時ころ帰った。