五稜郭の築造

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五稜郭設計図

 亀田役所土塁(五稜郭)は、安政4年から工事を起こし、その堀割は松川弁之助、石垣は喜三郎が請負った。初めの設計では濠(ほり)の側面もすべて張り芝で土砂を覆い、石垣を築かない計画であったが、堀割が出来るに従い土砂が崩壊するので、新たに設計を変更して石垣にしたものという。当初の設計は、右図の形であったらしいが出塁は追手の1か所だけにとどまり、現在の形になった。石材は箱館山の水元から切出し、そのうち腮石(あごいし)は大坂から回漕した備前御影石を用いた。建物は安政3年同心長屋50軒、万延元(1860)年定役仮宅30軒、文久2年組頭調役等の官宅16軒を建設した。郭内の庁舎は小普請方鍛冶方石方請負人中川伝蔵(江戸居住)に命じた。伝蔵は代人を箱館に派遣して設計し、文久元年から秋田の能代において下ごしらえをし、回漕して構築したものである。