官費埋立

646 / 706ページ

井上喜三郎

 箱館の発展に伴う港湾の整備をかねた海面の埋立事業ならびに溝渠(こうきょ)開削工事は、幕府前直轄時代にも行われた事業であった。しかしその後、松前藩復領とともに中絶をみていたが、当時代において再び行われるようになった。
 すなわち、安政6(1859)年6月、いよいよ通商貿易のため開港するに至り、幕府は外国人にその居留地を供給しなければならなくなり、箱館奉行は、そのために大町の海面を、長さ40間、幅50間地積2000坪の埋立を決し、石工井上喜三郎用達忠次郎の2人にこれを請負わせ、同年12月に工事に着手し、翌万延元年9月に至り竣工した。その請負額は金5,455両余であったが、工事中暴風浪の災害のため石垣の一部が崩壊し、更に改築したので請負人は145両の損失をしたという。この埋立地は、一時外国人に狭隘を理由として忌避されたが、第4節に述べたとおり、後には居留地として利用されるに至った。