4月2日に定款を決定し、同日、役員選挙も行われた。社長には堀基、支配人宮路助三郎、会議員は常野、村田、泉、小林、安浪次郎吉の6名、この他6月には蛯子末次郎(旧開拓使玄武丸船長、農商務省御用掛)、幹事に園田実徳(同官吏、函館電信局主任)が決定した。堀が社長に選出された直接の理由は不明であるが、14年9月18日の「朝野新聞」によれば、開拓使官有物事件の時、堀は表面にはでてきていないが、事業には加わるとの内約がなされていたという。黒田が開拓使官僚主体で行おうとした事業が世論の反対に会い挫折したため、今度は函館商人を巻き込んだ形でかつての構想を実現しようとしたのではないか。農商務省のスムーズな許可といい、役員構成といい官主導的な性格が色濃い。堀個人は11年開拓使を辞め在野で活躍しており、牧畜会社の経営や小樽では物産会社「大有社」社長と実業界で多方面で活躍しており、海運事業への関心も強かったと思われる。彼の登用もかつての上司であった黒田の推挙があったのではないか。
社長の堀は就任後しばしば上京し中央での動きが目立つが、会社の実際経営は経済動向に熟知していた杉浦らの会議員がとりしきっていたと考えられる。このための組織として会議員会議というものを定め、「会議員ハ常ニ社中ノ事務ヲ議定スルモノトス」と副則のなかで規定している。
株数 | 氏名 | 住所 | 株数 | 氏名 | 住所 |
200 200 200 200 200 160 150 120 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 | 堀基 園田実徳 杉浦嘉七 村田駒吉 藤野喜兵衛 泉藤兵衛 金沢弥惣兵衛 大橋角太郎 時任為基 小林重吉 安浪次郎吉 常野正義 相馬哲平 藤野伊兵衛 吉田三郎右衛門 岡武兵衛 石館兵右衛門 金子元三郎 黒田清隆 松岡譲 | 札幌 函館 〃 〃 〃 〃 〃 福山 函館 〃 〃 〃 〃 福山 〃 東京 福山 〃 札幌 函館 | 80 70 60 60 60 60 60 50 50 50 40 40 40 40 40 40 40 | 深瀬洋春 岩田金蔵 伊藤壽式 小川幸兵衛 林儀助 深瀬鴻堂 脇坂平吉 岩田又兵衛 岩田又七 長谷部辰連 蛯子正煕 宮路助三郎 調所広丈 新栄孫四郎 木下源吉 新谷彦八 村田吉蔵 | 函館 福山 函館 〃 〃 〃 〃 福山 〃 函館 〃 〃 札幌 函館 〃 新潟 〃 |
経営陣の体制がほぼ整った4月5日に東浜町の運漕社の一角に北海道運輸会社の事務所が開かれた(なお8月に東浜町15番地に社屋を新築、移転する)。まず株式募集から業務が始められた。函館区内は4月末日、他地域は6月15日と定められ、函館新聞に募集広告が掲載されるが、申し込みは順調に続いたようである。前掲の「願伺届録」で6月までの加入調をみると、申し込み人員は218名、金額は25万3100円に及んでいる。主要株主およびその持ち株数は表7-12のとおりであるが、100株以上の大口株主20名中半数は発起人が占めている。居住地別でみると函館が115名、函館を除く道内からは福山の36名を筆頭に11町村から74名、道外は東京10名、他に6県から応募があった。函館関係でみる上層商人のほとんどを網羅している(ちなみに16年に区内資産者調査がなされるが、この調査に名があげられた商人のほとんどが株主となっている)。地域全体に直接的に利害を持つ事業だけに多くの商人層の関心を集めたということであろう。また前述したように黒田清隆を始め、旧開拓使官吏の名前が多く見られる。大株主が存在しないのは保有上限を定めたためであるが、特定の人間に集中しないように配慮されたためでもある。
4月中旬ころより、先に貸与許可を得ていた9艘の船舶が次々と会社に引き渡された。6月には、この他にさらに第1~第4石狩丸の4艘が貸与された。4月14日の「函館新聞」は「…荷物運輸も已に所々より申込多きゆえ近々矯龍函館沖鷹の三汽船にて福山、江差、小樽等へ向け開航する都合なりとぞ…」と各方面からの照会が相次いでいることを伝えている。