例言

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一、この市史は、昭和四十八年十二月一日函館市との合併に至るまでの事項について記述した。
一、編目は六章に分けて、資料には「合併の歴史」「史料」「年表」を巻末に付した。
一、内容的には農業の部、合併の歴史を重視するとともに、函館市との相互関係を充分考慮に入れた。
一、後日発行予定の函館市史通説編第一巻との関連については、亀田市編と重複しないよう心がけたが十分とはいいがたい(特に箱館戦争、五稜郭築造など)。
一、亀田に創設した高龍寺称名寺山上大神宮などについては省略した。
一、「合併の歴史」は亀田と函館の合併について年次を追って記録した。
一、古文書は「天保九戌正月吉日 御用書留 鍛冶邑 名主所」と「文久三歳 御借米覚帳」 (抄)の二部を掲げた。
  なお、「〓」は「は」、「〓」は「より」、「〓」は「え」、「而」は「て」、「之」は「の」、「茂」は「も」、「者」は「は」、「与」は「と」のように仮名を統一した。
  また、「鍛治」(かじ)の文字使用については、昭和六年地番改正以前は「冶・治」を併用し、改正以後は「治」を用いた。
一、表が多く文章表現の少ないところなど、読み難い感じを与える点もあると思う。
一、引用文は「 」で囲み出所を明らかにし、それぞれ関係文中に表示した。
一、敬称は、歴史書にならい省略した。
一、度量衡表示は、メートル法によるをたてまえとしたが、原文に基づいて尺貫法を用いた部分もある。
一、編さんに当っては、古い記録や資料をできるだけ多く用いたが、大正時代から終戦後までの間の資料が乏しく、内容の充実を期し得なかった。
一、写真および図版は、なるべく多くと心がけたが、適材適所の掲載にやや不十分なところがあった。
一、年代は、年号を用い必要に応じて西暦年を( )内に注記した。
一、この市史は監修者高倉新一郎氏の校閲を受けた。
   昭和五十三年十月
                  函館市史編集長 田 畑  幸三郎