亀田番所

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寛政年間筥館市中之図 蝦夷島奇観所載 市立函館図書館蔵(箱館移転後の亀田番所

 亀田番所の位置は現在の亀田八幡宮付近と推定されるが、確かな位置は不明である。寛文十(一六七〇)年には家数二〇〇軒もあり、繁栄していた亀田の地は、元禄十六・七(一七〇三・四)年亀田川の洪水のあったころから、港が遠浅になり、船舶は箱館の港へ入港するようになった。
 このため船を相手とする商人たちは、箱館に居を移すようになり、従って商人や入港船舶を取締り、税を徴収していた亀田番所もまた箱館(現在の函館病院敷地)へ移らざるを得なかった。
 亀田番所は寛保元(一七四一)年箱館へ移ってからも、亀田番所または亀田箱館番所と呼ばれていた。
 また文化元(一八〇四)年には亀田にあった奉行役宅(旧亀田番所)を廃し、箱館に移して奉行交代屋敷を造ったが、この時の建坪は約二〇〇坪であったといい、亀田に在った番所の広さはほぼこれと同じくらいのものであったであろう。