地鳴り、山鳴りとともに灰降りしきる危険な中を、当村では他町村に負けじとばかり消防組員五〇名をもって直ちに噴火救護応援部隊を編成し、鹿部村救援に向かった。
降灰石の区域
火口より吹上げる火山灰は想像以上に激しく、灰に埋れ孤立した鹿部村村民救出のため、組員は軍川よりわらじばきに腰弁当の姿で一〇キロ離れた鹿部まで徒歩で向い、途中で二班に分れた。一班は灰に埋まった人家の発掘に努め、他の一班は飲料水確保のため爆発、地鳴り、降りしきる灰の下で、火口より吹き上げる大火柱を仰ぎながら我が身の危険をも顧みず、消防組員として井戸掘りに二昼夜専念した。その結果、三か所から地下水を汲みあげ、飲料水を供給し村民に非常に喜ばれた。
昭和五年には天皇陛下初の北海道御親閲の際、亀田村消防組より池田音右衛門、本谷勝太郎、佐藤某の三名が旭川市の御親閲大会に参加出席した。