郷土史「尻岸内町史」が発刊された昭和45年以降、昭和60年には「尻岸内町」から「恵山町」への町名変更が行われるなど、その後の歩みにも大きな変遷がありました。
そういう中、平成の半ばころ、町史の加筆を望む声が多くなり準備作業にとりかかりましたが、その際、単なる「尻岸内町史」の続編ではなく、改めて資料収集・調査研究し、新たな町史の編纂を進める方向性が確認され、平成7年から本格的な作業に入りました。
当地域は、日本海を北上してきた対馬暖流の分流、津軽海流と太平洋を南下する千島寒流がぶつかり合う海域を有しており、古来から豊かな漁場に恵まれております。地域に多く存在する縄文遺跡からも狩猟はもとより、豊かな水産資源を背景に生活が営まれていたことが想像されます。
和人が初めて当地域に移住したのは、享保5年(1720年)。かれらは豊かな水産資源の下に漁業の郷として歩みはじめ、「箱館六ヶ場所」を経て「村並」になり、安政5年(1858年)に「村並」から「尻岸内町」へ、その後明治・大正・昭和とそれぞれの時代の苦難を乗り越え、昭和39年には人口1万人を超え町政施行するに至りましたが、近時、少子高齢化や地方財政危機等の時代背景の下、平成16年(2004年)12月1日、近隣の戸井町、椴法華村、南茅部町と共に函館市と合併となり「函館市恵山地域」として新たなスタートを切りました。
「恵山町史」を通じて、これまで当地域が歩んできた足跡と郷土発展のために尽くされた先人たちの想いをあらためて知ることができます。
願うならばそれら先人たちの想いを心に刻み、市民一体となって新しいまちづくりに邁進することを期待してやみません。
私自身、本格的な編纂前の準備作業や校正等に若干なりとも携わっただけに、このたびの発刊には感慨深いものがございますが、編集長はじめ執筆いただいた諸先生、さまざまな資料提供にご協力くださった各団体・関係機関、そして市町村合併以降の発刊にご理解賜りました函館市関係者に対し、心から感謝申し上げ、発刊のことばといたします。
平成19年3月
函館市恵山支所長 工藤 篤(旧恵山町長)