[町内の遺跡分布と立地]

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 今後、より古く遡る遺物や遺跡が発見される可能性があるが、現在までに北海道で確認されている先史時代の遺物のなかで最も古いのが、約5万年前まで遡る可能性がある中期旧石器文化の斜軸尖頭器である。その後には、ナイフ形石器、石刃、細石刃石器からなる後期旧石器文化、縄文文化、続縄文文化、擦文文化と続き、アイヌ文化が誕生する。
 これまでに恵山町内で確認された遺跡は第1図に示した大小あわせて57遺跡で、そのうち2カ所は溶鉱炉跡と煉瓦製造所跡である。先史時代の遺跡は55カ所で、最も古いのが7~8千年前の縄文時代早期の遺跡である。
 遺跡の多くは尻岸内川や古武井川などの大きな河川の河口流域と、豊浦から大澗および恵山の海岸に面した台地上などに存在するが、小河川に沿った台地上や時には山岳部からも遺物が発見されている。
 縄文時代早期の遺跡は、日の浜砂丘1遺跡や中浜E遺跡のように古武井川や尻岸内川河口流域の台地上で発見されているほか、古武井9遺跡のように内陸の小河川沿いの台地でも発見されている。前期から中期の遺跡もまた、主に尻岸内川と古武井川河口流域の台地や大澗などのような海岸に面した台地上にその分布が見られる。大きな集落跡であったと考えられるものに、尻岸内川河口の川上遺跡と古武井川河口の日の浜遺跡があったが、砂鉄採取や造田工事で壊滅している。
 縄文時代後期の遺跡は少ないが、中浜E遺跡や古武井9遺跡からこの時期初頭の住居跡や遺物が発掘されているほか、尻岸内川の河口から約7キロメートル上流にある谷間に位置した湯の沢遺跡からもこの時期の遺物が発見されている。晩期の遺跡では古武井川河口に位置した日の浜遺跡が有名で、この時期には古武井川や尻岸内川河口の台地はもとより沖積低湿地からも遺物が出土する。
 縄文時代に続く続縄文時代の遺跡は豊浦遺跡や恵山貝塚のように、海岸に面した台地上で発見されているほか、小沢沿いの平坦地からはキャンプ跡のような小さな遺跡が発見されている。特異な例としては尻岸内川河口から約8キロメートル遡った谷間の中小屋沢遺跡や恵山山頂近くの休憩所付近から遺物が採集されている。
 町内で発見された土器には、縄文時代前期末から中期初頭の古武井式土器、晩期後半の日の浜式土器、続縄文時代前半期の恵山式土器など、恵山町内の地名がつけられたものがあり、北海道の先史時代におけるそれぞれの時期を代表する標式遺跡や土器となっている。