同遺跡の早期の土器に伴った石器には、Ⅲ層下位とⅣ層中位から石鏃(第13図1~10)、石槍(第13図11~14)、石錐(第13図15~16)、つまみ付きナイフ(第13図17~19)、箆状(へらじょう)石器やスクレーパー(第13図20~23)、磨製石斧(第14図1~2)、断面が三角形の礫を用いた磨石(第14図3~6)、たたき石(第14図6~9)、小型な扁平礫の両端を打ち欠いて作製した石錘(第14図10~13)、砥石(といし)(第14図14)、石皿(第14図15)などの石器がある。
日の浜砂丘1遺跡でも最下層から、貝殻復縁押引き文、貝殻腹縁連続波状文、貝殻条痕文などが施文された土器(第15図1~8)、微量の繊維を含み組紐圧痕文が施文された東釧路Ⅲ式土器(第15図9~12)、絡条体圧痕文や短縄文が施文された中茶路式土器(第15図13~15)、羽状縄文が施文された東釧路Ⅳ式土器(第15図16~23、第27図1)など、早期から前期初頭の土器片がわずかと、断面が三角形の磨石、石錘、擦切磨製石斧、擦切具などが出土している。また、古武井9遺跡からもわずかではあるがノダップⅠ式土器の破片が出土(第31図1~3、5)。
貝殻文尖底土器から縄文が施された平底土器までの遺物が発見され、早期初頭から末葉に恵山町で縄文人が生活していたことは確かだが、住居跡が発見されておらず定住していたのか、狩猟漁労を行うために一時的なキャンプ生活をしていたのかは不明である。
第12図 中浜E遺跡から出土した早期の土器片(1~5、ノダップⅠ式、6~9、15~19、住吉町式、20~23、ムシリ式・早稲田3類、24~31、東釧路Ⅲ式、32~33、コッタロ式、34~39、中茶路式、39~44、東釧路Ⅳ式)
『尻岸内町中浜E遺跡』北海道埋蔵文化財センター、1985
第13図 中浜E遺跡から出土した早期の石器(1)(1~10、石鏃、11~14、石槍、15~16、石錐、17~19、つまみ付きナイフ、20~22、箆状石器、23、スクレーパー)
『尻岸内町中浜E遺跡』北海道埋蔵文化財センター、1985
第14図 中浜E遺跡から出土した早期の石器(2)(1~2、石斧、3~7、磨石、8~9、敲石、10~13、石錘、14、砥石、15、石皿・台石)
『尻岸内町中浜E遺跡』北海道埋蔵文化財センター、1985
第15図 日の浜1遺跡から出土した初期の土器片(1~8、貝殻文系、9~12、東釧路Ⅲ式、13~15、中茶路式、16~23、東釧路Ⅳ式)
『日の浜砂丘1遺跡』北海道恵山町教育委員会、1986