3、北海道1・2級町村制の実施

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 北海道の地方自治制が日の目を見たのは本州の府県が実施以降、9年を経てからである。
 1888年(明治21年)4月、政府は町村法案を整備、市制を加え「市制町村制」として、『府県』に公布、翌、1889年(明治22年)4月から順次実施していったが、北海道・沖縄県・離島などは枠外となる。北海道については、翌年の帝国議会で、その処遇(実施)について議論されたが、諸々の理由から先送りとなることについての詳細は、先に述べた通りである。
 そして、本州等に遅れること9年、1897年(明治30年)5月、ようやく「北海道区制」「北海道1級・2級町村制」が、勅令第158・159・160号により公布されたが施行を待たずに改正の議論がおこり、それぞれの施行は、この2年以降となる。
 
・1899年(明治32年)10月、「北海道区制」施行される。
 函館・札幌・小樽に区制を施行する。これは、本州の市制に準ずる制度である。
・1900年(明治33年)7月、「北海道1級町村制度」(亀田郡)大野町(上磯郡)上磯村、(松前郡)福島村・福山町(松前)、(檜山郡)江差等16か町村に施行する。(その他、1級町村制施行の主な町村、室蘭・釧路・根室・稚内・岩見沢・伊達など)
・1902年(明治35年)2月21日、北海道2級町村制度については勅令第37号をもって根本的な改正を加え公布される。そのときの公布は次のようなものであった。
 
 <内務省令第七号>
 北海道二級町村制ハ明治三五年四月一日ヨリ施行シ其実施地ヲ左ノ通リ指定スル。
 但シ、数町村合併ノ分ハ現在ノ町村名ヲ大字トシテコレヲ在ス。
 明治三十五年三年十三日        内務大臣 男爵 内海忠勝
 
・1902年(明治35年)4月、これにより「北海道2級町村制」が札幌郡札幌村外61ケ村に施行される。函館支庁管内では(亀田郡)銭亀沢村・湯川村・亀田村・七飯村・戸井村、(茅部郡)森村、(山越郡)八雲村、(上磯郡)木古内村の8か村が施行された。
 このようにして、北海道でもようやく町村制(区制)が実施されたが、改正された「北海道2級町村制度」は本州等に比し、北海道の町村が未成熟であるとの認識から生まれた独自の制度であった。すなわち「1級町村」については道庁が、当該町村の人口・経済力などを調査し適当と認めたものを政府・内務省に申請し認可を得て施行するもので、これは、本州等の府県の[町村制]に相当するものであったが、「2級町村制」は北海道特有の自治制度で、1級町村を実施するまでに至らないが、人口や経済力や村勢がある程度の規模を有する町村に対して施行するものであった。
 改正された2級町村制は、全8章71条よりなる詳細なものであるが、その規定はつぎのようなものであった。
 
 町村行政
 一、町村長、収入役、書記をおく。助役はおかない。
 一、町村長の任免(任期4年)は北海道長官、書記の任免は支庁長の権限である。
 一、収入役は町村会の推薦によって支庁長が任命する。
 一、書記の定員は長官が定め、支庁長が任免する。
 一、町村長、書記の給料・旅費は北海道地方費より支給する。
 一、町村各地区に部長をおき、その任免は支庁長である。
 
 町村会
 一、町村会の議員定数は4人から12人、任期は2年で全員改選する。
 一、町村長は町村会議長をつとめる。
 一、町村会は町村条例の制定、町村営造物の管理方法の決定。町村費用支出事業についての議決権はない。
 一、町村会は軽易の事項について会議を開かず、書面の持ち回りによって議員の3分の2の合意で議決が認められる。
 一、町村会の議決取消処分に対して不服があっても、これの訴訟を許す規定がない。
 
 町村会の議員の選挙権・被選挙権
 一、公権を有する満25歳以上の男子、戸主で1年以上町村に居住している者。
 一、納税額、土地所有か次のいずれかに該当する者。
   ○地租年額10銭以上を納入する者。
   ○直接国税・北海道水産税、もしくはその両方を合わせて年額50銭以上を納入する者。
   ○町村税平均額以上の町村税を納入する者。
   ○耕地1町歩、もしくは宅地100坪以上の所有者。
 
 以上の規定をみてもわかるとおり、道庁・支庁の監督と保護による権限がきわめて強く、執行機関(町村)に対しては権限の介入を行い、議決機関(町村会)に対しては大幅な制約を加え簡素化をはかり、論議が十分行うことができない仕組みとなっている。また、町村制の施行にあたっては、町村の合併が積極的に行われている。(戸井村は小安村と戸井村を合併、森村は森村・尾白内村・宿野辺村・鷲の木村・蛯谷村・石倉村の6が村が合併したものなど)
 2級町村制について、その施行の前月、明治(1902)3月9日付、北海朝日新聞に興味ある記事が載っているので記すことにする。
 
 『北海朝日新聞(現北海道新聞)』・明治35年3月9日付より
 〔二級町村制施行地〕
 二級町村制の実施は来る四月一日よりの予定なるも未だ実施期日並びに、本年より愈々(いよいよ)実施せら可く町村は指定されざれば、何れの町村を以って二級町村とせらるるやは確知(かくち)するを得ざるも、道庁より内務省に上申せられしは57個町村の由に洩(も)れ聞けり、去れば現在の各町村実況、拓地殖民の程度を参酌して考ふるときは、大約左の如き町村を以って二級町村としていせらるるに至るならんと。
 以下、函館支庁管内のみ抜粋する。
 ▲函館支庁管内 *2級町村制施行を予想する村
 下湯川村 七飯村 森村 砂原村 八雲村 長万部
  その他、銭亀沢村戸井村を1村に、尻岸内椴法華村を1村として計8ケ村に。
 
 「北海道1級・2級町村制」は次第に普及し、また、村勢の発展により2級から1級への昇格もあり、自治制は一部では進んだが、この制度を施行する程度まで達していない村に於ては、依然として開拓使以来の戸長役場制度をとり、総代人を行政へ参与させることにより、僅かばかり自治行政としての体裁を整えていたに過ぎなかった。