〈昭和60年4月1日より、尻岸内町、恵山町に〉

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 享和元年(1801)郷土「尻岸内場所」は江戸幕府より日本人村並に認められ、安政5年(1858年)には、日本人村並から正式に「尻岸内村」として認可された。爾来、127年間続いた郷土尻岸内の名は、昭和60年(1985年)4月1日をもって、町民の総意のもと「恵山町」と改名されたわけである。
 
町名変更記念式典 昭和60年4月22日、恵山町民センターに於て、新生恵山町のスタートを祝う式典が行われた。なお、この式典は、昭和39年町制施行してから20年、享保の頃、郷土に和人が移住以来270年の開基も兼ね盛大な記念式典となった。
 
『郷土の地名とアイヌ語』
尻岸内 シリキシラナイ(シリキシララナイ)  岩壁に形象ある川
     シリケシナイ(シリケシナイ)  山・下・川(山の下の沢・川)
○恵山  エサンイ  頭が・浜の方へ出でいる・所(岬)
     イェサン  浮石・下る(噴火する山)
     エシャニヌプリ  岩の多い・山
 字日浦 ファラウエン  悪い臭いのする所・寄せ浜
 〃豊浦 ムイトマリ  静かな入り江
 〃大澗 シリケシナイ  山・下・川(山の下の沢・川)
 〃女那川 メノコナイ  女・川
 〃古武井 オフィ  噴火の臭い
 〃根田内(現恵山)ネトナイ  寄木・多い・川
 〃磯谷(現御崎)ソーヤ  岩の多い所
 ・寄貝歌 ヨリキカウタ  ナマコの多い・浜 ウタは砂の意
 ・七ッ岩 アラワンシュマ  7つの岩 アラワン7つ シュマ岩