(8)漁業組合の改革と戦時統制

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 第1次世界大戦後の経済界は不況の波に洗われていた。税収は上がらず政府はいきおい緊縮財政を執らざるを得なかった。そのあおりをまともに受けるのは、経済基盤の弱い農漁村である。このため政府は昭和7年(1932)に農林省へ経済厚生部を設け、農漁村の経済更生を図るために、先ず漁村の経済団体の足腰を強める基礎を確立することが大切であるとし、昭和8年第64回議会に漁業法改正案を提出、同年3月から実施となる。
 
 この昭和8年3月の改正漁業法では、
①従来の漁業権は入漁権の取得、あるいは借入、漁業用共同施設をなす事を目的としていたが、新たに組合員の経済の発達に必要な共同事業を行う事ができるとした。
②出資制責任組織とし、出資組合を『漁業協同組合』とよぶことになって、組織も、無限責任、有限責任、保障責任のいずれかの立場をとるか判然させることとした。
③漁業協同組合は自ら漁業を営むことができるようになった。
④漁業協同組合連合会は、各漁業協同組合を会員として出資及び責任制をとると共に、各種の経済事業を行うことができるようになった。
 
 この改正により漁業協同組合は、初めて漁業権管理組合から一歩前進して経済団体としての基礎(出資責任制)と機能(経済事業)を得たのである。
 こうして漁業組合は出資制をとり名称も漁業協同組合と改め、本格的な経済事業を行うことになり、信用事業も広く展開できる基礎が開かれたのである。
 漁業組合の協同組合への改組により、組合員がもっとも歓迎したことは、系統金融機関の信用事業を通じて「漁村金融」の強化と拡充が、昭和13年第3次の漁業法改正により実施されるようになったことである。
 すなわち、漁業協同組合や同連合会が一般組合員(組合員と同一家族以外の利用は認めない)の貯金の受入事業を行い、漁連(漁業協同組合連合会)が手形の割引・特定金融機関への債務保証をし、同時に産業組合中央金庫に加入できることになったことである。
 ここにはじめて、漁業協同組合は産業組合と同様の役割を果たすことができるようになり、系統機関による金融の途が開かれたのである。そして、昭和13年10月には全国漁業協同組合連合会(全漁連)が設立、それを前後して各府県連合会も設立し、ようやく漁家のための全国的な系統組織ができあがったのである。

改正法による尻岸内村各漁業協同組合

 
統制機関とされた漁業会 昭和12年、蘆溝橋事件に端を発した日華事変は中国全土に拡大、政府は軍事体制を強化し日本経済も徐々に戦時経済へと編成替えしていった。
 漁業法改正により、ようやく本格的な事業展開が期待された漁業組合も、国家の統制機構の中に組み入れられ、信用事業は金融統制の色を濃くし、組合は国債の消化や強制的貯蓄のための機関となり、購買・販売事業も資材の配給と集荷など独占業務(国の業務の代行)として行うようになった。さらに統制経済の一環として漁業組合の整理統合が強く指導された。こうして、政府の強力な戦時政策によって漁業組合は国家的統制機関となっていった。
 昭和16年(1941)12月8日太平洋戦争に突入、戦争は苛烈を極めた。政府は戦争遂行に日本経済の総力を集結するため産業機関の統制を図った。漁業協同組合も例外ではなく、漁家のための組合から国家の戦争のための組合へと切替えられたのである。
 昭和18年(1943)3月「水産団体法」を制定、9月からの施行により、尻岸内村の4つの漁業協同組合は解散を命ぜられ、同時に「漁業会」を設立することになった。
 この、水産団体法によると、水産団体は各市町村に1つの漁業会、各都道府県に1つの水産会、中央にには中央水産会を置くというもので、行政区画に従って組織し、原則として上部団体にそれぞれ加入する。各水産団体は従来行ってきた事業のほかに「統制事業」を実施する。地区内の資格者(組合員)は当然加入する。役員は原則としてその団体の推薦した者を行政官庁が任命・認可、会長の単独代表制としている。
 さらに、行政官庁はこの水産団体・漁業会に事業の実施を命令し、会員以外の者に対しては、水産業の統制機関に対する服従を命令するなど、強力な指導監督を行うものであると規程している。このように漁業会は戦争遂行のための機関、民主的な協同組合の特色は全く失われてしまったのである。
 村内の4漁業協同組合は、この水産団体法の公布施行により漁業会発足のための設立準備委員会を尻岸内郷社八幡神社で開催、尻岸内村長、渡島支庁岩瀬四郎主事らが臨席するなか、委員に選出された中野由太郎、菅野栄作、福沢留蔵、沢田綱蔵、佐藤金作、東政蔵らが参集し諸事項を協議、会則制定、事業計画を承認した。
 そして、昭和18年10月12日、尻岸内漁業会本部を旧尻岸内漁業協同組合事務所に定め、恵山・古武井・日浦の旧漁業協同組合事務所を支所とし尻岸内漁業会は発足した。
 なお、初代漁業会長には沢田綱蔵が北海道庁長官より任命され、理事には東小三郎(日浦)、浜田正義(大澗)、大吉小三郎(女那川)、斉藤友吉(古武井)、中野由太郎(恵山)、吉岡袈裟吉(恵山)を各地区を考慮し任命、総会で推薦のあった松本専一郎(日浦)・川村留吉(古武井)を幹事に、全職員の指導指揮には常務理事の松永誠三郎が当たることになった。