[湯川・椴法華間の乗合自動車の運行]

1071 ~ 1073 / 1483ページ
 乗合自動車の尻岸内村への乗入れは、大正10年中宮・藤野が下海岸に乗合自動車を走らせ、昭和3年下海岸自動車に代わってから8年目の昭和4年の4月ようやく日浦まで、翌5年5月5日大澗、役場所在地の古武井まで到達したのが昭和7年4月26日のことであった。そして、湯の川椴法華間の全線にバスが運行したのは、昭和8年(1933)6月20日、下海岸道路に乗合自動車が走ってから12年目のことであった。
 以下、『下海岸道路乗合自動車運行年表』(尻岸内町史参考に作成)を記す。
 

大正10年~11年湯川・戸井間を運行した乗合自動車
中宮亀吉から藤野清次(藤野自動車)に譲渡


藤野自動車待合所・現湯川終点付近
(函館市 藤野家所蔵)

 
大正十年八月二十一日
 「函館自動車合資会社 湯の川・戸井間乗合自動車運行(車両二両)」〈発車〉湯川電車終点・下湯の川・志苔・古川尻・石崎・釜谷・弁才澗・戸井川尻・〈終点〉浜中 (料金)釜谷まで一円五〇銭 浜中まで二円三〇銭
大正十年十月二十日
 「湯の川・戸井間乗合自動車五往復運行(発着時間改正)」
大正十一年四月二十三日
 「湯の川・戸井間乗合自動車運行再開」経営者の交替(中宮亀吉から藤野清次郎に譲渡)で一時運休していたもの。
大正十二年四月七日
 下海岸道路開削工事起工(十月二十日)幅員四間の開削工事完了。
大正十四年十月五日
 「湯の川・戸井間乗合自動車運行時間改正」〈湯の川発〉八時・十時三十分・十三時・十五時三十分〈戸井発 〉七時三十分・十一時・十三時三十分・十五時三十分
昭和二年一月二十五日
 「下海岸自動車株式会社設立(函館市曙町二番地)」乗合自動車・貨物運輸事業認可(資本金)三万円(社長)額賀金吉
昭和三年二月九日
 「函館自動車合資会社解散(中宮・藤野)」
昭和三年六月 
 「下海岸自動車株式会社 根崎・原木間運行」
昭和三年八月二十三日
 戸井村原木・尻岸内日浦間道路開削岩根橋畔で開通式挙行
昭和四年四月
 ○『下海岸自動車株式会社 尻岸内村日浦まで運行』
昭和五年五月五日
 ○『下海岸自動車株式会社 尻岸内大澗まで運行』
昭和七年四月二十六日
 ○『下海岸自動車株式会社 尻岸内古武井まで運行』
昭和八年六月二十日
  『下海岸自動車株式会社 根崎・椴法華間、全線バス運行』
 〈湯の川発〉八時・一時・十六時三十分〈椴法華着〉十一時十分・〈古武井迄〉・十九時四十分 〈椴法華発〉七時三十分・−・十三時 〈湯の川着〉十時四十分・〈十六時十分〉・十八時五十分(料金)湯の川温泉から古武井まで片道一円九十銭・同椴法華まで二円二五銭
昭和十二年十月
 『下海岸自動車株式会社 日ノ浜・恵山間運行(村道乗入れ)』
 
 昭和7年尻岸内村役場の所在地古武井までのバスの乗り入れ、更に8年、椴法華村までと下海岸道路全線がバス路線となり、沿線の人々の函館あるいは隣接町村への往来、また日常生活上の物資の流通など、飛躍的に便利になったことはいうまでもない。
 当時の下海岸自動車株式会社のバスの運行数は10往復で、区間別は次の通りである。
 
 湯川町・椴法華間(2往復)、同・古武井間(3往復)、同・日浦間(4往復)、同・戸井(7往復)、同・汐首間(7往復)、同・釜谷間(9往復)、同・(石崎・古川尻・銭亀沢・志苔・根崎)間(10往復)