[郷土の寺院]

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 文書に残る郷土の寺院については、第1章に記したが、江戸時代の記録として、第2節松浦武四郎蝦夷日誌・巻之五・一八四五・六年』の根田内村(現、字恵山)の項に…菴寺有…と記されているだけで、また、第4節田中正右衛門文書『六ケ場所神社庵室并御備品等調・一八五四年三月』には、<庵室>尻岸内持場根田内 浄土宗地蔵菴 壱ケ所但、箱館浄土宗称名寺末と、あるのみである。明治に入ってからの、第4節菊池重賢『壬申八月巡回御用神社取調・明治五年・一八七二』にも、尻岸内枝郷根田内 △箱館称名寺末浄土宗地蔵菴存光(第九世疋田存光)と記録されているだけである。
 以上の記録からみて、現存する郷土の寺院(仏教)は、字恵山の豊国寺を除いて、(その前身も含めて)いずれも、明治5年以降の創建ということになる。