二、幼児教育

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 本町の幼児教育は、私立の常設保育園が東部地区に、公立の常設保育所が西部地区に設立され、この二施設により実施されているが、その収容定数は僅か一三五名にすぎない。
 近年幼児教育は、人間の知能決定の上で最も重要な段階であることが科学的にも立証され、加えて母親の労働需要が増加している中で、保育に欠ける幼児が多くなる傾向にある。
 このような現状を考えれば、本町に於いても更にその施設の増設整備がのぞまれるところである。
 この必要性にこたえ、戸井町総合計画の基本構想によれば、将来の人格形成の基礎づくりと、集団生活の基本的姿勢を育成するという目的のもとに、昭和五〇年を目標として、東部地区幼稚園と西部地区幼稚園の二施設を設置し、地域父母の教育要求に対処すべく計画されているのである。
 
 1 すずらん保育園の沿革

すずらん保育園

   設立の動機
 戸井町字館町の幼児を持つ若妻たちが、『同じ館町内に居住しながら、互いに挨拶も交し合えないようでは……』ということから、若妻たちの親睦を目的とした集いがもたれるようになり、すずらんグループが誕生した。
 話題は必然的に子どもたちの教育のことにすすみ、保育所の必要性が認められ、次第に保育所設立の熱情がたかまってきた。
 若妻たちは、個々の力ではその実現が到底不可能であることを悟り、グループの力でこの事業を解決しようということになり、その意欲が遂に実を結んで「すずらん保育園」を誕生させその母体となったのである。
 当初は『昆布とりやイカ釣りの最盛期に託児の目的を主とした保育所を設立して欲しい』、との声が多く、すずらんグループ活動の一つとして昭和三十八年九月季節保育所が発足した。
 初年度は、戸井町字館町在住の幼児だけを対象として、すずらんグループの手で経営していたが、町、浜町の父母もわが子の入所を希望するようになり、園児は逐年増加し、季節保育所から常設の保育園となった。その経営もグループから村に、村から個人へと移管され、現在は戸井町字汐首から戸井町字原木までの幼児が通園するようになり、規模も次第に拡大されてきた。
 
   すずらん保育所時代
 昭和三十八・九・一二「すずらん保育所」として戸井町字館町にある拓進会館(館町・町青年会館)を借り受けて開所した。これは漁繁期の季節保育所であり、九月と一〇月だけ開設された。園児は満三歳から就学前までの二〇名であった。
 昭和三九・七―昭和四二・九、第二年度からは館町だけでなく、町・浜町からも幼児が入所し、その数も三〇名となる。以下昭和四二年まで毎年七月から一〇月までの四ヶ月間開所することになった。
 昭和四二・一〇―昭和四二・一二・九月に引き続き開所されたが、入所幼児は四〇名に増加し、その性格も最早グループ同好的なものではなくなり、この年一〇月から戸井村の経営となり、その名称を「戸井村すずらん保育所」とし、所長は役場民生課長の酒井正儀が兼務した。
 
   経営主体の変遷
自昭和三八・九・一二 至昭和四二・九・三〇
 すずらんグループ(戸井町字館町若妻グループ)
   昭和三八年度会員(二一名)
    会長  谷藤 光枝
    会員  宇美 けい子  浜谷 和子
        澤田 照子   和田 悦子
        伊藤 弘子   工藤 美和子
        布施 よし   布施 みき
        山田 信子   木葉 とし子
        池田 邦子   樺  ハルヱ
        三上 政子   鈴木 利子
        石田 タミ   滝谷 イネ
        堀川 通子   高橋 イサ
        佐藤 和子   菅谷 セツ
  昭和三九年度 会長 谷藤 光枝
  昭和四〇年度 会長 浜谷 和子
  昭和四一年度 会長 浜谷 和子
  昭和四二年度 会長 宇美 けい子
 自昭和四二・一〇 至昭和四二・一二
  所長(戸井村役場民生課長) 酒井 正儀
 
   すずらん保育園時代
 昭和四三・五・一四、戸井村から個人に経営が移管され、「すずらん保育園」に昇格され、今までの季節保育所から常設の保育園となった。昭和四三・五・一四、戸井町字館町法泉寺地所内に園舎が新築され、(施設面積一四五、四五平方米)、園長には法泉寺住職佐藤孝順が就任して同日開園された。園児は瀬田来地区から東浜町までの満四歳から五歳児の八〇名となった。
 園児はその後益々増加し、昭和四四年度は瀬田来地区から原木地区間、昭和四六年度は汐首地区から原木地区までの幼児が通園し、その数は九八名となった。
 
   歴代園長・所長と保母
昭和三八年度 保母主任 野呂 利美
昭和三九年度 同右
自昭和四〇年度、至昭和四二・九
       保母主任 佐藤 和子
自昭和四二・一〇、至昭和四二、一二
       所長 酒井 正儀
       保母主任 佐藤 和子  保母 野呂 利美
昭和四三年度 園長 法泉寺住職 佐藤 孝順
       保母主任 佐藤 和子  保母 梅原 悦子
昭和四四年度 保母主任 佐藤 和子  保母 館山 淳子
昭和四五年度 同右
昭和四六年度 保母主任 佐藤 和子  保母 大野 和子
 
 2 戸井町立すみれ保育所の沿革

すみれ保育園

   設置にいたるまで
 戸井町立常設保育所条例にもとづき、母親の日々保育に欠ける児童を保育するのを目的として、国から市町村への委任事務の一環として開設するにいたった。
 
   戸井町立常設保育所条例
  (設置)
第一条 児童福祉法(昭和二二年法律第一六四号)第三九条の規定による保育に欠ける乳児及び幼児を保育するため、保育所を設置する。
  (名称、位置及び定員)
第二条 前条により設置する保育所の名称、位置及び定員は別表のとおりとする。
  (職員)
第三条 保育所に所長・保母・嘱託医・その他必要な職員をおく。職員の定数は戸井町職員定数条例(昭和三六年戸井村条例第五号)の定めるところによる。
  (規制への委任)
第四条 この条例の施行について必要な事項は、町長が別に定める。
  (附 則)
1 この条例は公布の日から施行する。
  (別 表)
名称 すみれ保育所
位置 亀田郡戸井町小安四七四番地及び四七五番地
定員 六〇人
 
   保育所の建設
工場請負 函館市石崎町原田組
工 期  昭和四三・一一・四―昭和四四・二・二八
敷地面積 六六一、一五平方米(二〇〇坪)
建物面積 二五二、五三一平方米
総工費  五、〇七一千円
 
   職員定数
 昭和三六年戸井町条例第五号の定めるところによる。
  所長 一、  保母 四、  給食賄い人 一、
 
   児童定数
 六〇名厳守で、三歳未満が六名(定員の一割)、三歳以上が五四名。
 
   児童通所範囲
 戸井町小安町及び戸井町字釜谷町
 
   入所基準(抜粋)
一、母親が保育できない場合(但し、その家庭の母親以外の人が児童の保育をできる場合は除く)
 (1) 母親の家庭外労働
 (2) 母親の家事以外の労働による保育不能な場合
 (3) 母親のいない家庭
 (4) 母親の出産時
 (5) 母親が病人の看護にあたり保育不能な場合
二、火災や風水害、地震などの不幸があり、その家庭を失ったり、破損したため復旧の間児童の保育ができない場合。
 
   すみれ保育所の沿革
昭和四四・四・一、戸井町立すみれ保育所の開所式が行われた。
 初代所長 酒井 正儀(役場民生課長が兼務)
 保母主任 松岡 澄子
 保母   三島 緋紗子  山内  友  伊藤 ひとみ
昭和四四・一一・一、役場民生課長伊藤徹夫が二代所長を兼務する。
昭和四五・三・三一、保母 山内 友が退職
昭和四五・四・一、保母 四十物(あいもの) あや子が着任
 
 3 公立幼稚園の設置
 戸井町では、昭和四十八年度から、公立幼稚園を設置することを計画し、学識経験者並に町内四小学校長を委員に委嘱し「幼児教育推進協議会」を設置し、これに諮問して具体案を練り、東西両地区に公立幼稚園を設置することとし、昭和四十八年度は東部地区に設置することになった。