・一月七日 北海道で最初の新聞である『函館新聞』が発行される。この時は二と七の日に発行され、月十七銭・一枚一銭七厘であった。
・三月二十三日 椴法華村・尻岸内村・戸井村・小安村の郡村組替要求が(茅部郡より亀田郡への編入を要求)開拓使函館支庁より東京書記官に提出される。要求が出された理由は、椴法華村・尻岸内村・戸井村・小安村の四村は、茅部郡に属しているため、各種の届出書類や許可願い、その他お役所の事務は、森村に存置する区務所に行かなければならなく、距離的にも遠く冬季や天候不順の時は全く不便であった。これに比べ亀田郡に変更された場合は一年を通じ交通の便が確保され、かつ距離的にも近い亀田村に存置する区務所を利用することが出来るからである。しかしこの時官側の返事は無情にも住民の切実な要求を退け従来の通りという回答であった。
・五月 開拓使により『漁業資本金貸与規則』が設けられる。
開拓使はこの制度により資本に乏しく、民間の『仕込み制度』を利用し、やっと着業し利益の大部分を金主(債主)に占められてしまうような漁民を救済し、かつ漁民個々の自営力を高めようとしていたようである。
この時函館支庁管内では、一万円の貸与金が準備され、一ヵ年に一割二分の利子を以て貸出し、利子の内五分を官に納入させ、六分を貯蓄して貸与額に加え、一分は取扱諸費に当てるように仕組まれていた。
椴法華村では年をおうごとにこの貸与金の利用者が増加し、明治十三年頃には漁民の大部分が利用するようになり、鰮漁や昆布漁等の着業資金として活用され、漁民の生活を助けるところが大きかった。
・六月二十一日 開拓使函館支庁、小安村以東で昆布漁に従事する漁民に対して、昆布萌芽(ほうが)時(芽を出す時期)の刈取を禁止する。
漁民の中にはより多くの収入を得ようと、昆布の萌芽時より昆布取りをする者があったが、開拓使は資源保護の立場からこれを厳しく禁止しようとしたものである。
・夏鰮大漁となる。
・十一月 椴法華-古部-木直間の道路改修工事が着工される。(明治十三年五月完成)
この時の費用は総額四百六十五円七十六銭一厘、官費と民費(地域住民の寄附)によるもので、古部・椴法華間などは大部分が急峻な山道で、人や馬がやっと運行可能という道路であった。
・この年、恵山・古武井硫黄採掘の操業安全を祈願して、恵山賽の河原に碑が建立される。