明治二十五年

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・シベリア・千島の調査、海外進出準備さかん。
・二月十一日 陸軍軍人福島安正この日ベルリン出発し、単独でシベリアを横断しウラジオストックを目指す。(翌二十六年六月十二日ウラジオに到着)
・北方の警備開発に備えるべく、侍従片岡利和千島調査を実施する。明治二十四年十一月から二十五年五月まで択捉(えとろうふ)島・六月得撫(うるっぷ)島・七月占守(しゅむしゅ)島・八月幌筵(ほろむしろ)島を調査帰途につく。
・四月二十日 恵山岬灯台霧鐘設置、木造四角形白色一分間に六回打鳴
・六月十六日 小包郵便法公布。(十月一日施行)
・六月二十一日 鉄道敷設法公布。
・九月十日 魚介藻保護のため監守人に鑑札を下付する。(『新北海道史』第九巻)
・十一月 函館測候所『地方』の天気予報を開始する。漁業関係者は役所の天気予報は当らない。自分達の『勘』の方がよく当るといいながらも、大風・大雨の予想などの時は特に新聞発表に注意していたと云われている。なお函館測候所の天気予報は明治二十四年六月三日に初めて新聞に掲載されたが、この時の予報は全国を七ブロックに分けておおまかに予報したものであり、はずれも多かったと云われている。
・この年、渡島地方豊漁のため景気良好となる。このため多数の移民が流入する。
・この年、昆布の価格上昇し百石に付、四百四十円となる。(函館の相場)
・この年、北海道内で天然痘流行する。
・この頃の漁民生活
 この頃椴法華村の漁業経営はその経営規模により、大漁民と小漁民の二つに大きく分けられるが、その内容を次に簡単に記することにする。
(大漁民)
 村内では非常に数は少ないが鰮漁場・鮪漁場の経営者或は大規模鱈釣業経営者で(通称親方)、数千円単位の収入を得る者があった。(他管内では鰊・鮭漁などで数十万円の収入を得る者もあった)
(小漁民)
 鱈釣・烏賊釣・昆布採取その他雑漁業等により収入を得る漁民で、大部分が家族単位が多く、年間収入は二百円から三百円が普通で稀には千円近くに及ぶ者もあった。
 当時の椴法華村では、小漁民の戸数が村内の大部分を占めていたが、経営規模が小さいため資本力が弱く、官より漁業資金の貸付を受けたり、函館の海産商などから仕込みを受ける者が多かった。
・この年あたりより、タバコ全国的に流行する。
・この年、ドストエフスキー『罪と罰』内田魯庵訳・アンデルセン『即興詩人』森鷗外訳などが出版される。