明治四十三年

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・三月二十五日 地租条例改正となり北海道の宅地以外の地租税率は、当分田畑地価百分の三・四、その他の土地は百分の四と定められる。
・三月二十六日 下海岸地域の人口増加に伴い小包数も増し、椴法華古武井尻岸内は、一日往復一便人夫により逓送される。
・四月十三日 古武井大滝の沢の民家より出火、十二棟十八戸の部落の全てを焼失する。
・四月二十二日 水産物製造取締規則を公布し、生産地組合取締人の製品検査を受けさせることを規定する。この法令の制定により、明治二十六年八月制定の昆布製造取締規則を廃止する。(八月一日より施行)
・六月八日 椴法華村医規程制定。
・八月から、恵山山頂温泉辻トメにより経営される。(尻岸内町史)
・九月十四日 島三十一番地先の稲荷神社を椴法華八幡宮に合祀する。
・十一月 漁業組合令公布。
 この組合令の公布により漁業組合は、漁業権の管理者から共同施設を有し経済活動を共同で行うことが出来る団体となる。共同事業の内容は、共同販売・繁殖保護・共同購買・遭難救助・漁業資金の貸付などである。(椴法華漁業協同組合として実施されるのは、明治四十五年六月からである)
・十二月九日 石川啄木、『一握の砂』を刊行する。(『初恋』・『東海の小島』などがある)
・十二月 戸井・湯の川間道路開削工事竣工。湯川村、山川丑太郎乗合馬車を開業し、戸井・湯川間を毎日一往復する。この頃下海岸地方は鰮漁に恵まれており、経済的に豊かであり多数の利用客があったと云われている。
・この年、椴法華村、木管簡易水道設置。
 古老の語るところによればこの年、木管水道利用者組合が結成され、番屋川の水を利用して富浦・島・八幡町方面への給水が行われたが、使用料の徴収や設備の補修その他管理は全てこの組合が中心になって実施されていたと云われている。なお最初の給水戸数は二、三十戸であった。
・この年、椴法華村の漁業状況。
 下海岸一帯鰮大漁その後鱈不漁となる。この年あたりから恵山沖では鱈の漁獲量が減少し、これに代って烏賊の漁獲高が増し『鯣(するめ)』の生産が増加する。この頃の烏賊漁の最盛期は二百十日より十一月下旬までの秋烏賊で村民ばかりでなく、裏日本北陸方面の漁師も活躍していた。
・この年、竹久夢二の『夢二画集夏の巻』が出版され夢二独特の女性の姿は、当時の女学生や少女間に大流行となり全国を風靡する。
・この年、『尋常小学校読本唱歌』が発刊される。内容は『ふじの山』・『春が来た』・『虫のこえ』・『いなかの四季』・『水師営の会見』・『われは海の子』など、誰でも子供の頃歌ったことのある懐かしい歌がおさめられている。