・二月二十七日 駒ケ岳、降灰小量被害なし「駒ケ岳爆発災害誌」
・三月十五日 駒ケ岳小噴火・鳴動・異状噴煙あり。
・三月 近海航路の高栄組、函青汽船株式会社と改組し下海岸・陰海岸及び森方面の海運を行う。
・四月一日 道庁命令定期船函館・森線新設され沿岸諸港に寄港する。この日より小包は汽船により運送される。
・四月三十日 川汲山道開削工事着工する。
・道路の充実と大火。
古くより尻岸内・椴法華方面の貨客輸送の大部分は船便に頼られていたが、船便は季節や天候によって運行が時々ストップされることから、通年の交通確保が必要とされており、更に諸産業の開発上の理由からも、函館・椴法華間の道路建設は下海岸沿岸住民から強く望まれるところであった。
かくて大正十二年六月から湯川・戸井間道路の一部改良が実施され、同年十月には完成されたのであるが、この改良工事により湯川・戸井間は約七米幅の平坦路となり、馬車・自動車の通行を従来よりもより容易にし、以後下海岸諸地域の産業の発展に貢献するものと期待をよせられた。
これより先大正十年頃から戸井・尻岸内・椴法華の三村は、戸井・椴法華間道路の開削を何度も道庁に陳情し、大正十二年三月には三村合同で一万五千円の寄付をすることを条件として、戸井・椴法華間道路の早期建設を請願した。かくて道庁の認めるところとなり、大正十二年四月七日 戸井・古武井間第一工区より着工されることになった。なお大正十二年四月現在前に記した下海岸道路ばかりでなく、村内道路の修繕・保護も椴法華村の重要案件とされており、同年の村長事務引継書には次のように記されている。
大正十二年四月
引継書類
一、道路開鑿改修ニ関スル件
準地方費道湯川椴法華間道路開鑿改修ノ件ニ干シ湯川ヨリ本村ニ至ル関係町村ト協議ノ上期成會ヲ設立是レカ速成ヲ期シツツアリ尚本年中ニ於テ関係町村長及有志ト共ニ七月十二月ノ両度ニ於テ出札是レカ速成ノ運動ノ事ニ決定セリ相當措置ヲ望ム。
二、道路開鑿寄付金ニ干スル件
前項開鑿費内ヘ戸井尻岸内本村ノ三ケ村ニテ金円労力ヲ以テ壱萬五千円寄付承諾ノ旨函館土木事務所長宛提出シ置ケリ而シテ本年度ニ於テ各村平均壱千円宛ノ出金ノ事ニ決定セルモ其他ノ細目ニ於ケル寄付負担額ハ右三ケ村長ニ於テ出函ノ場合土木事務所長ト打合せノ上決定ノ事トセリ相當措置ヲ望ム。
(中略)
一、道路保護會ニ干スル件
本村道路ハ悪路ニシテ是レカ一般住民ノ愛護心ヲ涵養ノ必要ヲ認メ本年三月二十四日村民協議會ヲ開キ保護會ヲ設立セリ而シテ本村ヲ十一区ニ区分各区ニ区長及副区長ヲ設ケ之レカ保護修繕等ヲ為サンタメ後日区長會ヲ開キ本年ノ修繕ケ所等決定ノ豫定ト為セリ相當措置ヲ望ム。
一、墓地移轉ニ干スル件
本村墓地ハ何レモ路傍且ツ学校付近ニ在ルモノ又ハ散在セルノ状態ナルヲ以テ適当ナルケ所ヲ選定シ是レカ移轉ヲ為ス必要アリ其ノ設置ハ元椴法華部落ニ一ヶ所其他ニ一ヶ所設置ノ予定。
一、村道修繕ニ干スル件
村道中役場前通路ハ破損甚ダシク悪路ノ結果通行上不便不尠是レカ修繕ハ大正十一年度ニ於テ施行ノ予定ノ処経費ノ関係上仝年度内ニ於テ修繕不可能トナレリ然ルニ大正十一年度ニ於テ是等修繕費ノ計上アルカ故ニ繰延事業トシテ予算繰越シ大正十二年度ニ於テ施行ノ予定ナルヲ以テ相当措置ヲ望ム。
このように大正十二年は道路交通が充実し始めようとした年であったが、一方では二度と経験したくない、してはならない大火災の年であった。
・島泊の大火
大正十二年五月二日午前三時 島泊中村理髪店から出火し折からの風に煽られ、島泊の現在の福永商店から川森旅館まで付近一帯二十六棟・三十六戸を焼失、損害額約八万円と云われる大火災が発生した。
このとき類焼した主な建物は、椴法華病院・〓旅館・川森旅館・宮本湯屋などであった。椴法華の目抜通りともいうべき通りを一瞬にして失った被災者はむろん、村民一同は火災に対する恐ろしさを身にしみて知らされ、以後消防設備の充実・防火知識の充実に力を盡くすようになった。
・七月十五日 椴法華小学校、小使室を改造して教室に充用する。
・八月十七日 恵山電気、出力を十九・五キロワットに増力する。
・九月一日 関東大震災。
午前十一時五十八分、東京・神奈川を中心として関東一円に大地震が発生し、その後火災が各所で発生したため大災害となる。家屋全焼三十八万余戸・全半壊十七万五千戸・罹災者三百四十万人・死者行方不明者十万四千余人・被害総額六十五億円。
・九月十五日、椴法華大暴風雨に襲われる。
・この年、椴法華村、水産収入の大部分を烏賊漁で得る。この他鱈漁は不漁であったが値段が良いため高収入となる。
・この年一月 菊地寛「文芸春秋」を創刊する。
・この年、「船頭小唄」全国的な大ヒット曲となる。その他「夕焼小焼」・「花嫁人形」・「待ちぼうけ」などの歌が流行する。