箱館奉行所と村々の行政

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 文政四年(一八二一)十二月幕府は蝦夷地の直轄を止め、松前藩にこれを返還した。松前藩は翌文政五年(一八二二)に復領し、福山に町奉行所と沖の口役所箱館と江差にそれぞれ奉行所と沖の口役所を設置した。この時から六箇場所箱館奉行所の管轄下に入り、主として箱館奉行所在方掛から行政指導を受けるようになったが、この時代の当地方行政の有様はどのようなものであったろうか。
 前幕領時代の地域行政者である会所支配人や番人が、引続き頭取・小頭・百姓代を引継ぎ、不足の分は村中の有能者をこれに当てた模様である。
 ここで名主の名前が見当らないのは、当時の六箇場所の各村は村並の地位(村よりも小規模で枝郷と同じ待遇)であるため、名主に代わる者として頭取が置かれていたからで、頭取の身分は名主よりもやや低いが、その職務内容は名主とほぼ同等の職務を行っていた。なお村並の規模を持つ村(本村)と枝村の関係にある小規模村には、小頭のみが置かれ頭取は置かれていなかった。
 またこのほかにアイヌ人の居住者がいる所では、前松前藩時代から引続き乙(おと)名や小使のアイヌ人役人の制度が設けられており、後松前藩の時代になると、その権力は失墜しほとんど名目的なものとなってしまった。しかし乙(おと)名は酋長格として、小使はこれを補佐する者として和人村役人の指揮のもとで、アイヌ人の監督にあたっていた。