椴法華独立の動き(二)

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 明治六年五月の大小区画制の実施により尾札部村支郷椴法華は、小安村・戸井村・尻岸内村とともに第六大区一小区に属することになったが、椴法華の一村独立の要望は益々強まり明治八年二月に至り、再度一村独立の願書を開拓使函館支庁に提出することになった。
 次に記す資料はこの時椴法華住民の要望を受入れた開拓使函館支庁開拓中判官杉浦誠から開拓使長官黒田清隆に提出された椴法華村新置に関する伺書である。
 
     『明治八年長官伺録原書 完』 (函館支庁 記録課)
  (朱)第二十号
   椴法華村新置ノ儀ニ付伺
   渡島茅部尾札部村支村椴法華ト申地ハ本村ヲ去ル事三里陸ハ嶮岨ニメ(シテ)未小経ノ通路モ無之海上但陸里三里ニテ是又波濤險難ニ付是迠便宜ニ任セ仮ニ戸井村出張處持場ニ附シ置候處既ニ戸数七十戸餘モ有之一村落ヲ成シ居自然本村支村ノ地隔絶致候ヨリ双方別村ヲ企望ノ意ニモ有之候間更ニ椴法華村ヲ以テ一村ニ相立更ニ戸井出張處持場中ニ相付シ可然哉圖面相添此段相伺申候也
   明治八年二月廿二日
                        函館支庁在勤
                         開拓中判官 杉浦 誠
  開拓長官黒田清隆殿
 
 かくて椴法華の一村独立運動は、第一回目の明治六年からかぞえて三年、第二回目の開拓中判官杉浦誠の上申からは一年を要したが、この間開拓使において検討審議されたものであろう。明治九年一月十七日府県布達により椴法華は一村独立することになったのである。布達文書は次のとおりである。
 
   『〔九年〕 一月十七日府縣布達』
   當使管下渡島茅部尾札部村ヲ分割左ノ通村名相設
    従来本村      尾札部
    尾札部村支村    椴法華