汽船の来航と行商人

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 明治三十年代の初めより汽船が頻繁に来航するようになり、ちょうどこの頃、昆布・鰯・鱈等が豊漁に恵まれたこともあって、以前に比べ多数の行商人が下海岸地域に入って来るようになった。やって来た行商人の主な者は、富山の薬屋・菓子商・小間物屋・種物商・釣具屋(釣針・烏賊針・てんぐすなどの販売)・呉服屋等であり、彼らの大部分は戸井、又は尻岸内で船を下りて、途中の村々で商売をしながら恵山を山越えして、椴法華へ来村し一して函館へ帰るか、又は古部・尾札部方面へ向かうかしていたと云われている。
 この人達は、普通「タビト」又は「タベト」と呼ばれ、秋の漁期に来村する者が多かった。(明治初期以前は村に本籍を有しない人達をこうよんでいたらしい)
 この他品物の量が多い場合や急ぎの物品の場合、来航船に頼み函館の小売商や問屋から取り寄せることもあり、後には来航船の荷物を取り扱う所で商店を兼業する所も出てきている。
 この他商人ではないが、漁師のふところがあたたまる十・十一月頃には、芝居・踊り・浪花節・酌婦なども来村することがあったと云われている。