昔日の稲荷神社

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 稲荷神社に関する一番古い記録が見られるのは『北海道旧纂図絵』で、「稲荷神社椴法華、勧請年号不詳、寛政十二年康申年八月二十一日、再立、亀田八幡社人藤山八代主膳家治」と記されている。
 同書の内容をわかり易く書くと次のようである。
 
   創立年代は詳らかではないが、寛政十二年(一八〇〇)八月二十一日、亀田八幡宮の八代目の神主であった藤山主膳家治によって椴法華稲荷神社の再立式が行われた。おそらく村民の強い要望があったものであろう。
 
 その約三十年後の『東蝦夷地道中略記』天保年中(一八三〇-四〇)によれば、尾札部椴法華の内、椴法華・中浜・嶋まりの各所に一社ずつ稲荷神社が存在することが記されている。
 僅か三十年あまりで一社から三社と「社(やしろ)」が増えているが、おそらく寛政十二年から天保年中にかけて本村来住者が増加し、それにつれて稲荷神社の信者も多くなり、社(やしろ)が建立されていったものであろう。
 その後、明治初期には銚子・島・元村の各所に一社ずつの存在が知られる。
 なお明治五年北海道神社改正取調のために巡回した菊池重賢の『壬申八月巡回御用神社取調』によれば、元村に存在した稲荷社について次のように記されている。
   △ 稲成社 木像、翁稲荷 廃物、改祭
     同前
     拝殿 二間ニ三間
     神門 一
     社地 五間方
     起元 不分明