入稼地

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 滕知文の享和元年(一八〇一)の著である東夷周覧に、箱館在、主に下海岸の漁況にふれている文がある。
 他国から稼業に来る者の多くは、北陸地方と南部(青森、岩手)の者であると記している。
 この地方の漁業は鱈漁であり昆布漁である。昆布は、志苔の昆布が上品で比類なく献上昆布となり、外国交易の品として長崎に送られると。
 この地方の稼(かせぎ)(家業)は、昆布が第一であるとも記している。このためか、松前、江差地方からは、妻子と家財を船に乗せて昆布採りにやってくると。このことから単身入稼(いりかせぎ)の者はこの地に定住し、妻子と来た者も一家が昆布採りに来たまま住みつくことが多かった。文化文政年間から次第に六箇場所の戸口が増加していく。