明治一〇年一月、技術開発のために東京から赴任した渡辺章三は、開拓使函館支庁御用係として当時の七重勧業課試験場、のちの七重勧業試験場の職員として、官業の鱈の肝油製造を担当し、臼尻村・尾札部村など鱈漁場の村々を視察して、技術の改良など直接経営の指導に当たった。
渡辺章三は静岡県駿河国有渡郡鷹鳥匠町の人で、天保九年(一八三八)正月の生まれで、名を安五郎といい、のち章三と改名した。
北海道所蔵の開拓使職員の履歴書によれば、静岡県士族と記されている。
前歴は詳らかではないが、明治五年、三五歳のとき陸軍省軍医寮に勤め翌明治六年軍医部に移る。明治八年一二月、陸軍省を依願退職して明治九年二月、開拓使の職員になっている。同年四月、函館在勤を命ぜられ、函館着任早々五月に千島国へ出張している。用向きは詳らかでないが、千島から函館に帰ると東京へ出張している。当時の船便のことであるから、かなりの月日を要した長途の旅行であり、千島の報告のため東京に出向いたものと思われる。
そして、明治一〇年二月九日、当時鱈の主産地として知られた砂原村・臼尻村に出張を命ぜられ、肝油製造試験に着手し、その製品は品質優秀として認められ七月にまた上京している。さらに一〇月には石狩まで出張し、翌一一年一月には知内へ出張、以後、福山、臼尻、熊泊、尾札部と続いている。
明治一二年一〇月、渡辺章三は農業仮博覧会審査員、同一一月第二回内国勧業博覧会出品取扱委員を命ぜられて上京するなど、多忙な活動をつづけている。
このとし七月、亀田郡下湯ノ川より下海岸を経て、茅部・山越両郡ならびに寿都分署までの巡回を命ぜられている。
これは明治一二年、獨逸但林(ベルリン)での漁業博覧会に、函館支庁から出品した漁業漁具の絵図の作成のためであった。調査は章三のほか吏員一名、画家二名を伴って、当時の漁村における漁業の実態を調べ、絵図にまとめるという貴重なものであった。
このときの漁業調査の絵図の副本が、市立函館図書館所蔵の「北海道漁業図絵」上下であり、また、道立図書館所蔵の「北海道漁業図譜」である。詳しくは漁業篇明治期の漁具漁法の項にゆずる。
明治一三年、鱈肝油製造に格別の勉励があったとして章三は慰労金五円を給せられた。
明治一四年、第二回函館農業仮博覧会審査委員を兼務。明治一五年には開拓使の廃止に伴い、引きつづき函館県庁職員として鱈肝油製造所の払下げのため、度々臼尻村・尾札部村に出張し、その残務整理にあたった。
明治一六年、北海道物産共進委員となり、明治一八年「除服出仕」としるされ履歴書は終わっている。渡辺章三のその後の消息を知ることはできなかった。
渡辺章三の履歴を記録したものとして、「明治拾四年開拓使各廳職員録」(市立函館図書館所蔵・六七頁)には、
函館支廳 御用係准等外吏 月俸金十五圓 静岡縣 士族
と記されている。
※御用係准判任官 深瀬鴻堂 月俸金百五十円 開拓使平民
各支庁・出張所・屯田七重 職員録(北海道所蔵)には、
御用係 准等外吏
十年一月廿九日 静岡県士族 渡辺 章三
月俸 拾五円 天保九年(一八三八)戊戌正月生
と記している。
後記の「屯田・七重職員録」の方が先で、渡辺が東京から開拓使に出向いた当初のものである。五年後の明治一四年の「各廳職員録」にも、「御用係 準等外吏 月俸十五円」とある。当初と五年後も同じという待遇には、これら官業奨励も、行政としてどれだけ意を注いでいたかを伺う一事でもある。待遇に比べると、着任以来の渡辺の活躍は、次の履歴書によっても知ることができる。
履歴録 ワノ部 自明治十五年二月北海道
静岡縣駿河国有渡郡鷹鳥匠町一丁目廿番地
静岡縣士族
渡辺章三 廃称 安五郎
天保九戌年正月生
〈※原文「十」を「一〇」と記す〉
明治五年 六月 七日 軍医寮等外一等附属申付候事 陸軍省
明治六年 三月一七日 陸軍省分課軍医部十五等出仕申付候事 同上
同年 一〇月二〇日 補十五等出仕 陸軍中佐正六位小沢武雄奉
明治八乙亥年 一二月一〇日 依願出仕被免候事 陸軍省
明治九丙子年 二月一五日 御用係申付候事 月俸金一五圓 開拓使
同年 四月二九日 函館在勤申付候事 同上
同年 五月一二日 御用有之千島国出張申付候事 同上
明治一〇丑年 一月二三日 御達廃官
同年 一月二九日 御用係申付候事 准等外吏月俸一五圓 開拓使
同年 一月三一日 函館在勤申付候事 同上
同年 二月 九日 函館支廳民事課申付候事 同上
同年 同月 同日 御用有之砂原村臼尻村出張申付候事 同上
同年 六月一二日 御用有之臼尻村出張申付候事 同上
同年 七月一七日 御用有之出京申付候事 同上
同年 一〇月 九日 御用有之石狩出張申付候事 同上
明治一一戊寅年 一月 三日 御用有之昼夜急行ヲ以テ福島郡知内村出張申付候事 同上
同年 二月 五日 御用有之臼尻村出張申付候事 同上
同年 四月一六日 御用有之福山出張申付候事 同上
同年 六月 三日 御用有之知内村出張申付候事 同上
同年 八月二〇日 御用有之出京申付候事 同上
同年 同月三〇日 御用有之出京申付候処不及其儀候事 同上
同年 一〇月二二日 御用有之往返共昼夜急行ヲ以テ茅部郡臼尻熊泊各村出張申付候事 同上
同年 一一月一五日 御用有之茅部郡尾札部臼尻両村出張申付候事 同上
明治一二巳卯年 七月二九日 御用有之亀田郡下湯ノ川沿海茅部山越両郡
ヲ経テ寿都分署巡回申付候事 同上
同年 一〇月 三日 本係ヲ以農業仮博覧会審査委員申付候事 同上
同年 一〇月二〇日 御用有之出京申付候事 同上
同年 一一月一九日 第二内国勧業博覧会出品取扱委員申付候事 同上
明治一三庚辰年 一月 九日 御用有之茅部郡臼尻村出張申付候事 同上
同年 六月一〇日 鱈肝油製造トシテ渡島国茅部郡ヘ出張之處客年以来該製造方
格別勉励候ニ付為慰労金五圓被下候事 同上
同年 八月一〇日 御用有之瀬棚郡出張申付候事 同上
同年 一一月一二日 御用有之茅部郡臼尻尾札部両村出張申付候事 同上
同年 一二月一七日 本係ヲ以テ茅部郡尾札部村在勤申付候事 同上
明治一四辛巳年 二月二二日 第二回函館農業仮博覧会審査委員兼務申付候事 同上
同年 六月 一日 茅部郡尾札部村在勤差免候事 同上
同年 一二月 九日 御用有之茅部郡臼尻河汲二ヶ村出張申付候事 同上
明治一五壬午年 一月 七日 御用有之茅部郡臼尻村出張申付候事 同上
同年 二月 八日 御達同年同月九日 拝承
同年 同月 九日 御口達同年同月同日 拝承
自分残務取扱ニ不及候事
同年 同月 同日 御用係申付候事 準等外吏月俸一五圓 函館県
同年 同月 同日 開拓使残務取扱申付候事 同上
同年 三月一五日 勧業課申付候事 同上
同年 一二月 六日 月俸金一八圓下賜候事 同上
明治一六年 七月 六日 北海道物産共進会委員申付候事 同上
明治一七年 一月 七日 北海道物産共運会事務勉励ニ付為慰労金五圓下賜候事 同上
同年 一二月二六日 職務勉励ニ付為慰労金九圓下賜候事 同上
明治一八年 一〇月二八日 除服出仕 同上
※職員録分課誌トモ明治一九年一月三一日マテ訂正ス但同日以後ノ異動ハ辞令録及進退録ニ就テ知ルヘシ