北海道 旧記二一六六
○ 尾札部駅
[渡島国茅部郡尾札部村函館ヨリ森駅ニ至ル東海岸ノ通路ナリ]
本駅設立年月不詳。旧幕府ノ頃、人馬継立所ヲ當村飯田與五左衛門宅ヲ壹ヶ年金捨五円ヲ以テ借リ受ケ設立ス。其他ノ経費ハ都(スベ)テ村費ヲ以テ仕拂フ。其後明治十年十一月ニ及テ駅場ト改称ス。明治十二年十一月以後ハ村民協力逓傳ヲ務ム。
隣駅江達スル距離
渡島国茅部郡臼尻駅江道路概ネ海浜ニ沿フテ平坦、里程弐里壹丁拾三間。同国亀田郡上湯川駅ニ至ル道路、五里三拾三丁。山嶺渓沢等ニシテ最モ難路ナリ。同国同郡椴法華駅江ハ、四里三拾五丁四拾間、明治十三年中、支村木直其他ノ道路ヲ官費ヲ以テ開鑿シ、稍往復ヲ得ルト雖トモ、其前ハ巉嵒崎嶇纔ニ鳥道ヲ通スルノミ。故ニ行旅ノ人多ク路ヲ海上ニ取ル。
駅逓取扱人給料
設置以来沿革不詳。尾札部村道又儀八ナルモノ江取扱人ヲ命シ、年給金拾五円ヲ支給ス。但シ民費ヲ以テ支辨ス。明治十二年以後之ヲ止ム。
駅馬
村民家畜ノ馬ヲ以テ其時々順番ヲ立テ逓伝ヲ為ス。故ニ別段駅馬ヲ備フルナシ。
人馬賃銭
明治三年二月人馬賃銭ノ公私ヲ区別シタルハ前駅ニ同シ。其後、人足壱人壱里金四銭、馬壱頭金六銭、至急昼夜兼行山道五割増トシ、明治十二年十一月ヨリ前駅ニ記載スル如クニ改ム。
荷物貫目
明治二年、馬壱頭ノ荷物拾八貫目トナシタル後人足壱人持六貫目トシ馬壱頭ハ弐拾五貫ト改ム。明治十二年十一月以後ハ*前駅ニ述フル如シ。
※『下湯川駅……明治十二年十月以後馬ヲ弐拾五貫目マテトシ、弐貫目毎ニ壱割ヲ増シ、人足壱人持ヲ七貫目トシ、七百目毎ニ壱割ヲ増ス。其年十一月十五日ヨリ翌年三月十五日マテハ、五分ヨリ少ナカラズ五割ヨリ多カラザル割増ヲ収入ス』
舟渡場
當駅ヨリ同郡椴法華村マテ陸路アリト雖トモ甚タ嶮ナリシヲ以テ海路ヲ取ルモノアリ。其里程英里六里。小舸(俗持符ト云フ)壱艘三人乗、渡銭壱里金拾八銭ツゝトシ、渡守該村坂井五兵衛ナルモノニシテ其渡舟製造費等ハ渾テ村費トス。
郵便局
本駅及川汲ニアリ。皆五等郵便局明治八年一月創置ス。
○臼尻駅
[渡島国茅部郡臼尻村ニアリ函館ヨリ森駅ニ至ル東海岸ノ通路ナリ]
本駅ハ明治三年(一八七〇)五月、人馬継立所ヲ設置シ、明治九年三月、駅場ト改唱シ、中村彦四郎ナルモノ自宅ニ於テ取扱フ。
隣駅江達スル距離
渡島国茅部郡尾札部駅ヘ達スル道路ハ弐里壱丁拾三間、海浜ノ平砂ヲ歩シ同郡熊泊駅江ハ壱里拾丁四拾四間、中間一ノ坂路アルモ其他ハ平夷トス。又亀田郡上湯川駅江ハ六里三拾三間内五里余ハ山道ニシテ嶮難ナリ。
駅場取扱人幷給料
往昔ノ沿革ハ不詳。近年中村彦四郎ヲ取扱人トシ給料ヲ與ヘザリシモ、山田恒吉江取扱人ヲ命シタル後チハ、年給金拾五円トシ民費ヲ以テ支辨ス。
駅馬
公用ヲ逓伝スルハ、村内馬持ヨリ其時々順番ヲ立テ之ヲ勤メ、私用ニ属スルモノハ相對トス。
人馬賃銭
明治三年二月、人馬公私ノ区分ヲ立テタルハ前駅ニ見ユ。其後人足壱人壱里金四銭馬壱匹同金六銭、山道雪中夜継等ハ五割ノ増賃ヲ収入ス。明治十二年十一月以降ハ前駅ト同シ。
荷物貫目
明治二年十月、馬ノ荷物貫目ヲ定メタルハ前ノ如シ。其後人足壱人持六貫目、馬壱頭弐拾五貫目トシ、明治十二年十一月以後ハ前駅ニ見ユ。
橋梁
本駅ヨリ里程弐拾九丁ヲ距リ熊泊駅江ノ道路大船川ニ架設ス。之ヲ大船橋ト云フ。本橋ナリ。架橋修繕共皆民費ヲ以テ支辨セリ。
郵便局
本駅中五等郵便局アリ明治八年一月設置ス。
○ 熊泊駅
[渡島国茅部郡函館ヨリ森ニ至ル東海岸通リニアリ]
本駅設置年月不詳。従来ヨリ村用係自宅ニ於テ取扱来リ。駅費ハ渾テ村費トス。
隣駅江達スル距離
渡島国茅部郡鹿部駅江三里三丁拾弐間。壱里海岸ニシテ磊礫ヲ歩シ頗ル難道ナリ。同郡臼尻駅江壱里拾丁四拾四間。一ノ坂路アルノミ。他ハ稍平夷トス。其従来修営等ノ事詳カナラズ。
駅逓取扱人幷給料
従前ヨリ村用係ニテ兼務ス。給料等別ニ給スルナシ。
駅馬
従来ヨリ村民所有ノ馬ヲ以テ順次逓伝ス。
人馬賃銭
明治三年二月、公私人馬賃銭定メタルハ前ノ如シ。其後、人足壱人壱里金四銭、至急便金六銭昼夜兼行金八銭、馬ハ金六銭トシ、明治十二年十一月以後ハ前駅ニ述ルカ如シ。
荷物貫目
明治二年十月、馬荷物ノ貫目ヲ定メタルハ前ノ如シ。其後人足壱人六貫目、馬壱頭弐拾貫目トシ、明治十二年十一月以後ハ前駅ノ如シ。