初代組頭吉川与三郎で、腕用ポンプ一台を装備したという(土肥岩蔵の尾札部消防組消防手の辞令に七飯警察署臼尻分署とあり、明治二八年二月八日付である)。
尾札部を第一部、川汲を第二部とし、尾札部稲荷神社の前に消防番屋を設置。
ついで明治三二年、臼尻村と熊泊村にそれぞれ消防組が設置された。
臼尻消防組
組頭取(組頭)篠田繁太郎
小頭 東出源蔵 魚住要作 小川弥助 加賀谷和市 鳥山三太郎
熊泊消防組
組長(組頭)磯野太三郎
小頭 不詳
組頭取・組長・組頭などと、その職名も同一同期のことについても、同じ編者の沿革誌の中でも職名が統一されていない。同一人である篠田繁太郎についてさえ、三種の職名で記されている。
これは、制度がいろいろ変遷したため呼称も異なって伝えられたものと思われる。以下、組時代を組頭と統一して記す。
この年(明治三二年)臼尻村では、臼尻小学校の向かいの海岸に警報信号所を設置した。信号は鐘を鳴らす方法で、役場の使丁が担当したという。現在の消防署臼尻分遣所の海岸の位置に当たる。
漁村の人びとは、多忙な時期は海や畑に出て家が留守勝ちになるので、緊急時の速報の定めをした。
明治34年 臼尻消防組組頭篠田繁太郎が辞職し、後任に小川幸五郎(のち幸一郎襲名)が二代組頭を
拝命した。
35年 2月15日 尾札部村字木直に第三部、古部に第四部を設置。
36年 6月 消防設置令により任意制の消防組から必要制となる。尾札部・臼尻・熊泊の各消防組は
七飯警察署の所轄であった。
39年 4月 1日 二級町村制施行に伴い臼尻村・熊泊村消防組を合わせ、臼尻村消防組を組織し三分団制
とする。
40年 3月 森分署の所轄となる。同41年ごろ、大野分署に転属。
大正 2年 5月 尾札部村は大野分署から戸井分署に転属となる。
5年 尾札部村は戸井分署から森警察署の所轄となる。
15年 7月10日 尾札部消防組第一部番屋の改築工事成る。
昭和12年10月 臼尻村消防組に自動車ポンプ一台を配置する。
14年 5月 1日 尾札部村・臼尻村消防組を各村警防団に改組。部制を分団制とし、組頭は団長、小頭は
分団長(杉谷銀作の辞令に部長とある)と分団内の班制による班長に改組となる。
15年 4月15日 尾札部村は基金を募り、警防団に消防ポンプ自動車(トラック改造)を購入して配置。
17年 6月10日 尾札部村第一部に手挽ガソリンポンプ配置。
22年 5月30日 尾札部村・臼尻村警防団は各村消防団に改組され、分団制を施行する。
25年 3月21日 小田原作太郎手挽ガソリンポンプを寄贈、尾札部村第三分団に配置。
臼尻村消防組 (大正年間) 函館・工藤幸雄所蔵 安浦・工藤千代作協力
大正七年三月一三日(道庁公報 第二九三号 大正七・三・二〇)消防組規則施行細則第一条別表中として、次のように尾札部消防組小頭・消防手の定数を改正している。
尾札部消防組
第一部 小頭四を五に 消防手四六を四五に
二 四を五に 四五を四四に
三 四を五に 四一を四〇に
四 二を三に (記載なし)
大正七年三月までと、その後の定数の根拠となる資料である。
大正九年四月二五日 北海道庁令 七八号 道庁公報
臼尻消防組組織変更ノ件
明治三一年三月北海道庁令第一八号消防組規則施行細則第一条別表中
渡島国茅部郡臼尻村臼尻消防組ヲ左ノ通改ム
大正九年四月二九日 北海道庁長官 笠井 信一
(表)