〔郷土の仏教〕

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 蝦夷地への和人の渡海は遠く、鎌倉期に至ってようやく吾妻鏡の例にあるように、夜盗を蝦夷地へ追放(島流し)したとする記述がある。漂流などで流れついた和人が住みついたこともあったであろう。蝦夷地(蝦夷島)と呼ばれた後の北海道に、日本人が生きのびていく年月の中で生死あり、神仏に祈ることも多く、危険をおかして渡海した僧もいた、と道内各市町村史に記されている。その多くはいい伝えで、松前藩祖の記録についても、その記述は後の世に書かれたもので、始祖信広の代については詳かでない。
 南茅部の神社・寺院の記録は、寛政一二年の亀田八幡宮社記に箱館高龍寺の末寺庵室として、臼尻の龍宮庵が記録されている。