一 学校位置 第拾八大区弐小区茅部郡臼尻村番外 人民共有地
一 生徒 四拾名
一 校名 臼尻学校
右者臼尻村江公立小學校設立之義過般以来厚ク蒙御説諭候ニ付有志者頓ニ奮起盡力致シ終ニ村民一同協力仕校舎之義ハ別紙第壱號之通リ寄附金ヲ以新築可仕候得者教員弐名月俸其他生徒机腰掛備書籍等入費何分金高モ相嵩ミ一所民力ニ及カタク迚モ費額□償之策無之困難御在候就テハ別紙第弐号之通リ諸品買入費来明治十二年ゟ同十四年迄向三ヶ年限ヲ以拝借被仰付ヒ成下度尤返上之義ハ第三号之通方法等立年之十二月三十一日限リ□度返納可仕是教員月俸之義ハ即全民費払出可仕様無御座候間當分之内官ヨリ御下渡被成下度然ル上ハ永遠維持之方法ハ第四号之如ク村内之□ヲ以テ支□仕候間何卒情□之御詮議ヲ以願意御聞届相成様只管奉□願□依之就學人員調及授業料等級調□□□相添村民總代連署ヲ以此段奉願候也
明治十一年 第拾八大区弐小区茅部郡臼尻村
十月廿八日 人民總代 吉崎 市兵衛 印
熊谷 喜三郎 印
東出 直蔵 印
小助川 庄兵衛 印
小川 吉助 印
大坂 金七 印
小川 幸吉 印
組合頭 二本柳 庄三郎 印
村用係 中村 彦四郎 印
戸長 菊池 忠兵衛 印
開拓権大書記官 時任為基殿
願之趣聞届候事
(明治十一年十一月五日)
公告 第十七號
渡島國茅部郡臼尻村番外地へ公立小学校設立臼尻学校ト称シ來ル廿八日開業式執行候條此旨廣告ス
開拓使
明治十二年六月廿六日 函館 支廳
臼尻学校校舎新築へ浄財三百円余募る
(函館新聞第二一八号・明治一二・七・一)
去月廿八日開校ありし茅部郡臼尻村臼尻学校ハ学事取締小川某と村用係(そんようがかり)某の尽力にて三百円餘の金員を募りて校舎を新築し器械書籍を新調し戸賦(こぶ)金授業料を以て月費(げっぴ)を支へ尚村中申し合せ海産物収獲の幾分を積金となし之を他日の学資に備ふるに至る迄中々能く行届き居るといふ。
臼尻学校
明治一三年一〇月一四日 開拓使函館支庁第七三号布達ヲ以テ修正セラレ変則小学教則
変則小学教則とは「日用切近ノ普通ノ学科ヲ教授スル為メニ設ケラレタル處ニシテ、入学年齢ハ満六年以上トス。
其課程ヲ分チテ八級トシ、毎級六ヶ月間ノ修業トシ、在学四ヶ年ヲ以テ卒業ノ期トス。」
願伺届録 北海道所蔵
[図]