②「志和」の名前の由来はなんだろう?
のん太が郷土史を研究する人にインタビューしてきたようです。
志和の地名には、歴史的な由来があります。約1000年前の志和は、「志芳庄」(しわのしょう)と呼ばれていました。「志和」の「和」は、もともと「芳」という字で、その後に変わったのです。
「庄」という字は、荘園であったことをしめします。荘園とは奈良時代から鎌倉(かまくら)時代のころの農地や農園のことを表す歴史的な用語です。
荘園ってあまりきいたことないな。荘園ってどんなところだったのかな?
荘園とは具体的にどのようなものだったのでしょうか?
【資料】中世の荘園の例(紀伊国峠田荘(かせだのしょう)絵図のトレース図)
(出典:『歴史教育の中の絵画資料』より引用)
荘園は農園のことだよ。上の資料のように、村の中はいくつかの荘園(庄)に分かれていたんだ。それぞれの荘園にはオーナーさんがいたけど、オーナーさんの中には、その土地に住んでいないこともあったよ。
たとえば、志和西のあたりの荘園の最初のオーナーさんは天野景経(あまのかげたか)という人だよ。その人は、今の静岡県あたりに住んでいたんだ。
また、オーナーさんは時代とともに変化していったんだよ。時には、土地の支配をめぐって戦場にもなっていたんだ。
当時の戦(いくさ)について、もっと調べてみましょう。
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