押型文土器に続いて貝殻文(かいがらもん)土器が出現する。この種の土器文様は、アカガイ・サルボウなどのようなアナダラ属特有のギザギザな腹縁や放射肋(ほうしゃろく)を利用し施文されたもので、八戸市鮫(さめ)町の白浜(9)・小舟渡平(こふなどたいら)遺跡(10)、同市新井田の館平遺跡(11)、上北郡下田町の中野平(なかのたい)遺跡(12)において、同種文様の古いタイプの白浜・小舟渡平式が出土し、さらに下北半島の東通村野牛(のうし)にある吹切沢(ふっきりざわ)遺跡(13)、同村小田野沢(おだのさわ)の下田代納屋(しもたしろなや)B遺跡などでは吹切沢式土器(14)、同じく東通村尻屋(しりや)の物見台(ものみだい)遺跡(15)、六ヶ所村千歳の千歳(13)遺跡(16)、八戸市河原木の売場(うりば)遺跡(17)で物見台式などと命名された貝殻文を有する土器が多数発見されている。ただし県内でもこの種の土器の出土遺跡は太平洋側に多く、津軽地方では五指に満たぬ状況である。
白浜式尖底深鉢形土器
八戸市・館平遺跡
(江坂輝彌氏提供)
一方、この貝殻文土器と相接して、縄文ならびに条痕文(じょうこんもん)をもつ土器が、小川原湖を取り巻く上北郡下から発見されている。これらの土器の編年について、六ヶ所村倉内の唐貝地(からかいち)貝塚出土土器を標式とする唐貝地下層式(18)に続いて、三沢市の早稲田貝塚をモデルとして、古い土器から早稲田1式~早稲田6式に至る六形式の変遷も打ち立てられ(19)、さらに八戸市十日市(とおかいち)の赤御堂(あかみどう)貝塚出土の縄文文様をもつ尖底土器に対し、赤御堂式なる形式も設定され(20)、縄文早期の土器編年は次第に完成されつつある。
赤御堂式尖底深鉢形土器
八戸市・長七谷地貝塚
(八戸市博物館蔵)