漆を使った遺物の発見は、大正末期から昭和初期に八戸市是川の中居遺跡で認められ、そのすばらしい品々の内容が高く評価されて、美術工芸に関する図録等でも紹介されていた(60)。これらの漆塗り製品は縄文晩期に属するものである。
三内丸山遺跡の調査で「北の谷」の泥炭層から前期の土器(円筒下層a~b式)とともに漆を塗った品々が出土し、なかには漆にベンガラを混ぜて塗った赤色を呈するものもあり、漆が特殊なものではなく、三内丸山人にとって身近な存在であったことを知らされた。椀・鉢・櫛の一部のほか、赤漆塗りの深鉢もみられ、さらに時期は下がるが漆を入れていた広口壷型土器もある。
漆塗りの品々は、三内丸山が調査に入る三〇年前から数次にわたって調査が行われた福井県三方(みかた)町の鳥浜(とりはま)貝塚から出土し(61)、すでに五五〇〇年ほど前の縄文前期にはかなり一般化したものであったらしい。漆は塗装剤としてまた接着剤として広く利用されていたのである。