渡嶋の終焉

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その後、寛平(かんぴょう)五年(八九三)にも、元慶の乱の後遺症から、渡嶋蝦夷と他の蝦夷との間でもめごとがあったことが伝えられているが(史料三五一)、これを最後に、「渡嶋」の名は歴史から消えていく(写真55)。

写真55『本朝往古沿革図説』

 東北経営の完了とともに、渡嶋の本州部分は津軽に取り込まれ、北海道と深い関係をもつ方面は、古代国家と隔絶することとなる。一方、こうした北奥の実力者としての津軽の蝦夷の伝統は、中世津軽安藤氏に引き継がれていくこととなるのである。
 なお青森県の地は、延長五年(九二七)成立の『延喜式』の段階になってもまだ、郡制に編入されてはいない。