「嘉元鐘」

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現在弘前市長勝寺にある、嘉元四年(一三〇六)八月十五日の記年銘をもつ、青森県内最古の梵鐘である「嘉元鐘(かげんのしょう)」銘文(池の間四区、陰刻)中に刻まれた人名は、津軽地方の鎌倉武士たちを知るための重要な史料である(史料六〇三・口絵・写真113)。

写真113 『集古十種』長勝寺鐘銘文

 元来この鐘は、鎌倉建長寺流の禅宗寺院で関東祈禱所でもある、格式の高い藤崎の護国寺に掲げられていたものである。藤崎や護国寺については、すでに唐糸にまつわる時頼廻国伝説のところでも述べたが、鎌倉幕府による当地方支配の重要拠点であった。
 その冒頭にある「皇帝万歳 重臣千秋」「風調雨順 国泰民安」という銘文や、この鐘の寄進の大檀那(崇演。前執権北条貞時の法名)が、鎌倉円覚寺の鐘(正安三年〈一三〇一〉八月銘・写真111・112)と一致することから、地元ではその「姉妹鐘」であるとして親しまれてきているが、「皇帝万歳 重臣千秋」「風調雨順 国泰民安」という銘文は、円覚寺鐘では第二区・第四区にみえるもので、その銘文の一部に過ぎず(長勝寺の「嘉元鐘」では、本文はこの対句部分のみ)、この銘文自体も宋代以後の中国の鐘に頻出する定型的な吉祥句で、日本でも鎌倉円覚寺以後、禅刹の鐘にはしばしばみられるものである。また円覚寺鐘は大きさ・高さ・厚さとも長勝寺鐘の二倍もある、当代関東梵鐘中最大のものであるから、誰しも「姉妹鐘」と呼ぶには多少のためらいを感ぜざるを得ないであろう。

写真111 円覚寺鐘(神奈川県鎌倉市)


写真112 『集古十種』円覚寺鐘銘

 ただ松平定信が編纂した文化財の木版図集ともいうべき『集古十種』(寛政十二年〈一八〇〇〉刊)に、鎌倉円覚寺鐘とともに、この長勝寺の嘉元鐘の銘文が掲載(写真113)されていることから明らかなように、江戸時代後期にはすでに全国的にもその存在が知られた名鐘の一つであったことは確かである。
 また地元でも古くから注目されてきたらしく、それにまつわるさまざまな所伝が誕生した。たとえば『津軽俗説選後拾遺』には、「沈鐘伝説」「十三湖底の鐘」の項があり、十三湖に沈んだという、この鐘にまつわる伝説が載せられている。