相対死(心中)

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鶴田(つるた)村(現北津軽郡鶴田町)出生の己之助(きのすけ)と鍛冶町の長吉の借屋に住む福助の娘ゆきが、明和八年(一七七一)七月十七日に蘭庭院(らんていいん)(現市内西茂森二丁目)の墓地内で世をはかなんで相対死(あいたいじに)(心中)を図ったが、二人とも傷を負ったものの死にきれなかった。両者は入牢(じゅろう)となって取り調べを受け、その後牢屋前で御徒目付(おかちめつけ)より、町中引き廻し非人手下(ひにんてか)を申し渡され、農民・町民の身分から非人の身分に落とされて、弘前城下の乞食頭長助(こじきがしらちょうすけ)の支配下に入れられた(「国日記」明和八年九月二日条)。