六 南溜池の四季

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 南溜池(みなみためいけ)(現市内南塘(なんとう)町)は、弘前城下の南、相良(さがら)町と新寺(しんてら)町との間に位置した溜池で、池の名前は弘前城の南に位置することによる。またの名を「鏡ケ池」ともいう。この別名は「鹿内家記」によれば、慶長十四年(一六〇九)、津軽に配流された花山院忠長(かざんいんただなが)の詠歌によるという(なお本項は、長谷川成一編『南溜池―史資料と考察―』一九八九年 弘前市教育委員会刊 に多くを依拠している)。
 この南溜池は、次に述べる四つの側面を有していた。①景勝の地、都市民の憩いの地として、また富籤(とみくじ)興行を楽しむ都市民が集まる場であったこと。②殺生禁断の地、祈祷の場としての南溜池であり、都市民の信仰を支え、宗教的な雰囲気がただよう聖地としての性格を有する地であった。しかし聖地とはまったく正反対の様相もみせており、③南溜池が塵芥(じんかい)の捨て場であり、都市民とくに町人の身投げ地、捨て子、死体遺棄の場でもあった。また近世後期に至り、蝦夷地警備との関連から、④武芸鍛練の場、家臣団の統制を強化する場として、南溜池が存在したことも確かであった。